南禅寺界隈
ここは南禅寺塔頭の聴松院の摩利支尊天鶴?鸞?この手挟の彫からほぼ明治以降の作と思い、後で調べたところ明治二十三年の再建であった。摩利支尊となれば、狛犬ならぬ狛猪!わらべ地蔵の庭と言われる牧護庵南禅寺勅使門寛永十八年(1641年)、御所の日ノ御門を移築梅に錦鶏?松に瑞鳥?南禅寺三門スケールの大きい堂々とした三門...
View Article東山界隈
ここは東山区粟田口にある粟田神社粟田神社拝殿籠彫りの牡丹(明治期頃と思われる)これは何だ・・・、平成20年に復活した、粟田大燈呂と呼ばれる夜渡りの神事に使われる、大きな張りぼて!粟田口は京都でも古い地名で、刀鍛冶の粟田口の出身地でもある。弊社に鍛冶神社が祀られている。尊勝院桃山期の建築蓮松風天満宮陶器でできた狛犬ここにもあった獅噛の蟇股知恩院門前の石橋新門前通りの骨董街大きな牡丹の欄間と獅子鼻お寺さ...
View Article桜・桜・桜めぐり
今回は趣を変えて桜めぐり・・・朝から雨模様、傘をさしての撮影、だいぶ光量が足らない!〔上品蓮臺寺〕〔平野神社〕ここは桜の名所、50種、500本あまりの桜が植えてある。冬場に訪れば、雑木広場のように思いがちだが、咲頃となれば、まさに息をのむが如し!〔立本寺〕ここの境内には、桜の木しか植えていないのかと思うくらいとにかく、ここもすごい!枝先がほんの地面近くまで伸びてきている。〔愛染寺〕〔護王神社〕〔京都...
View Article伏見・中書島界隈 その1
伏見、中書島あたりは、かって水路により水運産業が発達し、問屋や宿屋が多くあったところです。また、幕末の土佐や長州藩邸があったところでもあります。ここは、坂本龍馬で有名な寺田屋跡地であります。伏見の良質の水を生かし、酒造メーカーの地でもあります。この時は、まだ桜はつぼみでしたが、今では十石舟での遊覧がにぎわっているでしょう。長建寺弁財天を祀る長建寺さん、江戸時代には松の大木が茂り、お堂がたくさん立ち並...
View Article続 桜・桜・桜めぐり
花見となれば、人気のあるところでは、たくさんの人だかり、穴場となれば、ごく少数のカメラマンがあちこちと、あまり知られていないところでは、我が独り・・・。〔千本釈迦堂〕〔雨宝院〕〔本隆寺〕〔首途八幡宮〕〔報恩寺〕〔妙蓮寺〕〔水火天満宮〕本殿の獅子鼻水火天満宮横の公園〔本法寺〕〔妙顕寺〕〔妙覚寺〕これは松です〔善明院〕〔閑臥庵〕〔丁寧寺〕〔阿弥陀寺〕玄関の彫物この龍のお顔、何故か信長さんに見えてくる!〔...
View Article伏見・中書島界隈 その2
伏見にある御香宮神社前の大手筋通りを西に入ったところ、商店街の北面に大光寺がある。本堂は新築だが、この薬師堂は天明七年(1787年)、知恩院宮御門跡の旧御殿の拝領とある。薬師堂の蟇股の親子唐獅子や獅子鼻、象鼻、手挟の牡丹、桁隠しの降鶴仙人の彫物など非常に丁寧に彫られている。興味深いことには、堂周囲に十二支が彫刻されていることである。これは、おそらく虎この先の彫物は、商店の塀などで見ることができない。...
View Article東寺界隈 その1
東寺(教王護国寺)東寺といえば、必ずこのアングルでの写真がよく目につく。このアングルは、どこで撮ったのか?と長らく疑問に思っていたが、現地へ赴けば一目瞭然・・・・。行かれたことのない人は、なるほどと思いますょ!さて、東寺があるからには、西寺もあるはず。西寺跡西寺は、東寺とほぼ同規模の伽藍を持った平安京の官寺であった。度重なる火災のため、戦国中期以降、荒廃し廃寺となり、今では、礎石の一部が残る史跡とな...
View Article岸和田地車 ~その魅力と彫物 その1
先日、岸和田のだんじりをじっくり観ることができた。岸和田といっても、泉州の岸和田ではなく、門真市の岸和田である。この地車は、高さが4m90cmほどのやや大型の地車である。高欄下に修復は見られるものの、北河内讃良型の形式をとる。讃良型というのは、かって四条畷・大東方面の宮大工によって造られた形である。旧門真型(南部)の地車には、土呂幕部には彫物や菱格子の欄間を入れない場合があるが、純な讃良型であるとい...
View Article右京区 梅津・太秦・花園界隈 その1
梅宮大社橘氏一族の氏神、酒解神などを祀る大きなお宮さん。綴喜郡井手町(京田辺)から大山崎へ、そしてこの地に移ってきた。嵐山の松尾大社と並ぶ大社であったが、橘氏の衰亡と兵火により衰退した。山門(楼門)に酒樽が飾られているのは、造酒の神さんが祀られているからである。山門の蟇股波?今年の大型の絵馬神幸祭(5月3日)に巡行されていた神輿名物の飼いネコおみくじの箱を分捕っている!住宅地のど真ん中にあるに前方後...
View Article岸和田地車 ~その魅力と彫物 その3 相野伊兵衛
岸和田地車の彫師さんは、相野さんに違いない。2000年撮影相野さんとはっきりとわかるのが、この三枚の獅噛。この獅噛のデッサン (下絵または墨入れ)は、伊兵衛直之さん。でも伊兵衛さんが彫ったとは見えなく、またその感じがしない。それでは、伊兵衛直之さんが彫ったオリジナルと思われるものを挙げてみると、ほぼ前期から中期の作二河原辺有馬温泉の愛宕神社...
View Article右京区 梅津・太秦・花園界隈 その2
ここは国宝第一号の仏像が安置されている広隆寺この仁王門(楼門)は、元禄十五年(1702年)建立正面側 鳳凰境内側 麒麟上宮王院太子堂...
View Article第11回 守口だんじり祭
この時期、毎年晴天に恵まれ、今回で11回目を迎える守口だんじり祭。昨年度に比べ、だんじりが二台少なく、また人でも少なかったようにも思える。ダイジェスト版気になるこの彫物A南十番さて、この南十番地車のメインの彫物師は、かりにS彫師さんにしておくと、S彫師さんの唐獅は、以下の三点のスタイル。A...
View Article東山七条界隈 その1
ここは三十三間堂、蓮華王院の南大門慶長五年(1600年)、秀頼公の寄進龍唐獅子三十三間堂南大門 単層切妻八脚門明治期に移設された東寺(教王護国寺)の南大門は、もと三十三間堂にあった西大門。東寺...
View Article東山七条界隈 その2
ここは新日吉神宮、新日吉とは、‘いまひえ’と読む。比叡山東麓の日吉神社を勧進し、江戸初期に智積院の北に再建したが、明治期に豊国廟参道改修のさいに、現在地に移転した。普通、拝殿前には狛犬が安置されるが、ここでは、何と御神猿と呼ばれるお猿さんが鎮座している。この金網は、逃げ出さないようにしているとか?!本殿横にある摂社、樹下社と愛宕・秋葉社実は、この樹下社に秀吉さんが秘かに祀られている。‘樹下社’とは‘...
View Article東山七条界隈 その3 豊国廟
さて、中間点から最後の石段、残り172段。ここから、傾斜がかなり急勾配となる。もちろん手すりなど全くない!後ろを振り返れば、ごらんのように転げ落ちそうになる!そして、秀吉さんの墓に到着した。阿弥陀ヶ峰の山頂...
View Article東山七条界隈 その4
ここは東山区渋谷通にある正林寺。もとここは平重盛の別邸、小松邸があったとされている地である。応仁の乱以後、焼け野原となったこの地に、享保十八年(1733年)、西陣の火災で類焼した正林寺をこの地に移し復興されたこの本堂(大師堂)は九条家の河原殿の建物である。本堂(大師堂)境内復興の際、阿弥陀堂、鐘楼、山門(楼門)などは、延享~宝暦年間に建立されたものである。たが境内も、今ではその大半が駐車場と保育園の...
View Article東山七条界隈 その5 方広寺大仏殿
ここは方広寺の大仏殿跡ちょうど、豊国神社の裏にあたる東側にある。豊国神社や方広寺撞楼を見学に来る観光客は、非常に多いが、ここへ訪れる人はほとんどいない。この右方の草の生えている円周状の地が、方広寺大仏の台座の大きさである。秀吉さんの最初の大仏は、文禄四年(1595年)木造の膠漆の大仏で、翌年の大地震により倒壊するが、大仏殿は無事であった。慶長三年(1598年)秀吉さん没後、遺志を継いで秀頼さんが再建...
View Article東山七条界隈 その6 都名所図会
安永九年(1780年)に編纂された都名所図会によれば、方広寺の大仏殿と仁王門、並びに大仏殿の回廊、南門が描かれている。ちょうど、現在の豊国神社の正面通の少し北方の地点から東南方向に眺めた景色の鳥瞰図となっている。この大仏殿や仁王門は、人と比べるとかなりの大きさで、太閤石垣と呼ばれる巨石の上に回廊が造られていることが判る。つまり、豊国神社の鳥居の位置に仁王門が建てられていた。現在の豊国神社安永九年(1...
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