ここは三十三間堂、蓮華王院の南大門
慶長五年(1600年)、秀頼公の寄進
龍
唐獅子
三十三間堂南大門 単層切妻八脚門
明治期に移設された東寺(教王護国寺)の南大門は、
もと三十三間堂にあった西大門。
東寺 南大門
もと西大門は、三十三間堂と京都国立博物館との間、
この辺りにあった。
博物館建設のため、この西大門がじゃまになり、
ちょうど東寺の門が火災で焼失し、なかったため明治二十八年に移設された。
西大門も秀頼公の寄進、南大門と同じく単層切妻の建築様式で、
西大門(現 東寺南大門)のほうが三十三間堂の南大門よりもかなり大きい。
そもそも、この辺りは方広寺の境内で、
境内内には、大仏殿、方広寺経堂(妙法院)と蓮華王院があり
かなりの広域の境内であった。
この西大門も慶長六年の建立であり、かなり巨大な大門なので、
方広寺造営のための大仏殿前の表門として造られたものではないか?
と思うふしもあるのだが・・・、
開場30分前で、行列が続いている。