ここは東山区渋谷通にある正林寺。
もとここは平重盛の別邸、小松邸があったとされている地である。
応仁の乱以後、焼け野原となったこの地に、享保十八年(1733年)、
西陣の火災で類焼した正林寺をこの地に移し復興された
この本堂(大師堂)は九条家の河原殿の建物である。
本堂(大師堂)
境内復興の際、阿弥陀堂、鐘楼、山門(楼門)などは、
延享~宝暦年間に建立されたものである。
たが境内も、今ではその大半が駐車場と保育園の園場となっている。
阿弥陀堂(法王殿)
鐘楼
山門(楼門)
亀仙人
降鶴仙人
いづれも頭が欠損している。
巨大な山門の龍
ここは、専定寺、別名 ‘烏寺’と呼ばれている。
象鼻
牡丹?
何故、烏寺と呼ばれているかと簡単に言うと、
その昔、専定という旅僧がこの地の松の木陰で休んでいると、
松の木に二羽のカラスが止まり、熊谷蓮生坊が往生したと話して飛び去った。
何のことかと、のちに聞いてみると、
熊谷蓮生坊(熊谷直実)が、カラス同志が話しあっていた時と同じくして亡くなったそうである。
何かの因縁であろうかと専定は、この地で草庵を開いたことが起こりと伝わっている。