ここは方広寺の大仏殿跡
ちょうど、豊国神社の裏にあたる東側にある。
豊国神社や方広寺撞楼を見学に来る観光客は、
非常に多いが、ここへ訪れる人はほとんどいない。
この右方の草の生えている円周状の地が、方広寺大仏の台座の大きさである。
秀吉さんの最初の大仏は、文禄四年(1595年)木造の膠漆の大仏で、
翌年の大地震により倒壊するが、大仏殿は無事であった。
慶長三年(1598年)秀吉さん没後、遺志を継いで秀頼さんが再建に従事する。
慶長七年(1602年)、今度は鋳造で大仏を造ったが、
流れ出した銅により大仏殿が炎上し焼失した。
慶長十三年(1608年)に再び着工、慶長十九年(1614年)に落慶法要を迎える。
それが、以心崇伝の言いがかりにより、家康が法要を中止させた。
それからというもの、寛政十年(1798年)まで、奈良の大仏をしのぐ大きさの
方広寺大仏が存在した。
そして、その当時の絵が残っていた。
都名所図会 安永9年(1780年)より
つづく・・・、