京都桜紀行 その5
〈醍醐寺〉醍醐寺は桜の名所ですが、人の多さでも有名です。この頃、もう見ごろの桜の五分の四は終わって、見物人は少なくなっていました。〈三宝院〉〈清瀧宮〉室町期再建...
View Articleこんなところに彫清さんが!
一期一会のごとく、出会った彫物がここにある。恐らく、懸魚として彫られたものに相違ないが、観るかぎり彫清さんの彫だ。たぶん、三代目と思われる。お猿さんのガラス眼を除いて欠けた部分が見当たらなく、ほぼ完ぺきな状態で、しかも非常に丁寧に彫られている。どうしてここにあるのかと聞き逃してしまい、残念であったが最近観たベストの彫である。
View Article一言寺の彫物 ~山科
一言寺(金剛王院)は、後白河天皇の側近とされる藤原信西の娘とも孫ともいわれる阿波内侍により、創建された。本堂は文化七年(1810年)に再建向拝下の彫物は、象鼻と唐獅子の手挟みのみだが、本堂正面の左右端には、唐獅子と象の木鼻、正面入口左右に獏鼻が施され、珍しい組み合わせになっている。なおその上部の斗栱にも前脚を投げ出した唐獅子が取り付けられている。この唐獅子のみ、ガラス眼である。本堂に奉納されている巨...
View Article長尾天満宮 ~伏見
京都伏見区、醍醐寺の北側にひっそりと佇む長尾天満宮。参道の途中に頼政の石碑がある。源頼政が平氏に追われ、園城寺(三井寺)から宇治へ逃げる途中に通った道あと。石段を登りきったところにある、道真公の「衣装塚」。菅原道真公が醍醐寺へ遊覧の折、醍醐寺の開祖聖宝理源大師との約束により道真公の死後、衣装や遺物をここに埋めたと言われてる。長尾八幡宮...
View Article先代鶴橋地車の謎?!
先代の鶴橋だんじりは、他の地車よりも抜きん出た彫物で、解体された彫刻類は現在、地車倉庫内のガラスケースに保存されている。また、文久元年(1861)彫又によって作成されたと伝わっている。ほぼ正面のものと思われる、形相の鋭い獅噛。何と、この獅噛に瓜二つのものがここにあった。この地車は災害により大破し、この獅噛も損害を被った。(災害前)両者を比べると、細かい部分は少々異なるものの同彫物師によって刻まれたも...
View Article瀧尾神社 ~奇妙な神獣 東山区
京都東山区本町にある瀧尾神社、今回は二回目の訪問。ここに、他に類を見ない寺社彫物彫刻がある。鳥居前にある神楽殿ここの天井に巨大な龍が住んでいる。京彫師 丸山新太郎の作この龍顔、どこかで観たような?、そう、150年ぶりに復活した祇園祭大船鉾の龍首のモデルとされた。神楽殿左方にある手水舎ここに様々な神獣が彫られている。麒麟 ?唐獅子?...
View Article小松源助 しかり!
彫物師小松一門の中で八代目とされる源助の彫物が、いちばん多く残されている。八代目源助の獅噛に関しても、彫の工程で仕上げの彫師が異なったり、また、源助のデザインを真似た彫によってそれから感じられる印象が違ってくる。以下のものは、見る角度によって少々の違いが感じられるが、観る視点が一致すれば、同彫師が刻んだものだと確信が行くだろう!雁屋奄美
View Article東福寺 ~新緑の詣で
東福寺 通天橋紅葉シーズンの東福寺は、‘なんじゃコレは・・・’といったような人だかりだが新緑シーズンでは、さほどの混雑もない過ごしやすさで、ゆっくりとくつろげます。方丈西唐門の彫物屋根に隠れて見えないが、蟇股に龍が彫られていた。開山堂(常楽庵)扁額を左右から獅子が見守っていた塔頭 退耕庵
View Article九代目から十一代目の銘書き ~小松
九代目とある、この墨書き表の彫刻を見れば、一門の弟子らが銘を拝借したかのようなうさん臭い彫。ところで、こちらの彫は本物!!十代目となると、堂々とした刻みぷり。十一代目となると、刻みがやや細くなる。釘先でひっかいたような銘書き。もう少し、堂々と刻めばよいのだが・・・。
View Article野仏の美 1 ~讃良川の石仏
野仏の美街道沿いや分かれ道にひっそりと佇む石仏。いつ、だれが、供養のために置かれたものか、知る余地もないが雨の降る日も、風の強い日も、カンカン照りの日も、雪が深々と降る日でもいつも同じこの場所に何十年も何百年もその地に留まっている。野仏などの石造物は木彫文化よりも古く、庶民文化や信仰の対象として広く愛され、今日まで受け継がれてきたのであろう。ここ寝屋川市と四條畷市を流れる讃良川(さんらがわ)のほとり...
View Article野仏の美 2 ~讃良石仏
一見、粗大ゴミが置かれているように見えるが・・・、何と!歴とした四体の石仏!ここ、寝屋川市と四條畷市の隣接する新池と呼ばれる江戸時代に開拓されたため池。この南西角に佇むというより、石仏が置かれている。新池の北側には、もと讃良寺があった場所 (現共同墓地)讃良寺と由縁のある石仏に相違ないと思う。...
View Article喜多文庫の地車 1
喜多文庫の地車喜多文庫とは、喜多慶治氏が日本各地を廻り自ら実地調査し、昭和30年から40年代を中心に民俗芸能の写真を記録し収めたもので、そのほとんどがスライドやカラーフイルムで撮られた貴重な資料である。1992年に神戸女子大学へ寄贈され、それらの写真は‘喜多文庫民俗芸能写真’としてデータベース化され貴重な資料として利用されている。...
View Article喜多文庫の地車 2
つづくもう一枚喜多文庫 壇尻 四條畷祭(昭和33年10月17日)から地車をアップするとこちらも大型の地車である。屋根の長さが少々短く、唐破風にやや丸みがある。泥幕部に彫物があり、組物に逆海老の肘木が見える。赤地の提灯の文字は読めないが、ほぼ清滝の地車と判る。...
View Article喜多文庫の地車 3
同じく喜多文庫の「壇尻」四條畷祭の写真から昭和33年10月17日撮影地車をアップすれば、やや小ぶりな地車見るかぎり「木間」とわかる地車さて、次のほぼ同地点での撮影。地車をアップすれば、...
View Article喜多文庫の地車 4
さて、残りの3枚これも四條畷最大級の地車続けて撮られた写真がこれ昭和33年10月17日撮影 喜多文庫よりもちろん見ての通りの中野本町の地車である。場所は特定できないが、ほぼ現在の西中野の交差点あたりと思われる。そして、最後の一枚地車を拡大すれば、赤い提灯が見える。この地車も大きい。高野街道を南下する清瀧地車である。おまけ今となれば、この地車も幻のだんじりである。
View Article野仏の美 4 ~大門の磨崖仏
木津川市加茂町の当尾の里は石仏の宝庫である。かってこの地には、南都仏教の影響を受けた多くの草庵があったとされている。ここ大門と呼ばれる地に巨大な磨崖仏がある。杉木立の左下に何かが見える目を凝らしてみる近くまで行ってみると、...
View Article野仏の美 5 ~浄土谷の大日如来坐像
ここ長岡京市の浄土谷という竹林に貴重な石仏がある林道を少し降りたところに、石で組まれた祠があり、そこに金剛界の大日如来の石仏が祀られている。鎌倉期の作と考えられ、智拳印を結んだ大日如来は非常に珍しく、しかも丸彫りのものは数が少ない。もともと光背があり、蓮座に座っていたとも思われ、また『山州名跡志』(正徳元年 1711)や『拾遺都名所図絵』(天明七年...
View Article野仏の美 6 ~玉川の駒岩
ここ綴喜郡井手町を流れる玉川の岸部に浮彫りを施した石造物がある。巨石の片隅を見上げたところに、『駒岩』と呼ばれる全長約1.2メートルの‘馬’のレリーフが彫られている。肢の短い、ずんぐりした体形の古代の馬で「左り馬」とも呼ばれている。雨乞いの守り神として、のちに芸能・習い事の神として祀られ、駕籠に乗って遠方からのお参りがあったそうである。もとは、玉川の南岸上の山腹にあったが、昭和28年の大洪水により、...
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