つづくもう一枚
喜多文庫 壇尻 四條畷祭(昭和33年10月17日)から
地車をアップすると
こちらも大型の地車である。
屋根の長さが少々短く、唐破風にやや丸みがある。
泥幕部に彫物があり、組物に逆海老の肘木が見える。
赤地の提灯の文字は読めないが、
ほぼ清滝の地車と判る。
さて場所は飯盛山系を東南に眺めた方向で、
写真の右方に旧民家の蔵(土蔵)が写っている。
ここがポイントの蔵、
この辺りをさんざん捜してもはや十年、
それらしき蔵を見てみると、
この蔵がもっとも有力となったが、その後、改修されたとは思えなく、
二階部の窓の位置が異なり、左方の長屋の際まで道となっている。
また植え込み(棕櫚)の余地がない。
もう廃屋となってしまったのかと、なかばあきらめていた。
いやそんなはずはない、蔵のある家(地主)がそう簡単に転居するわけがない。
もう一度、バックの飯盛山系に目をやった。
今まで探していたところよりも少し北寄りのところ、
やはりこの位置に違いないと・・・
で、目的の蔵は?
よく見ると・・・ありました、ありました!
高架になった飲食店の駐車場の塀に隠れ、まったく外観が見られない。
蔵の上部の窓の位置やそれに連なる家屋、
その横にある庭の植え込みを発見。
Mさんとこの大きな邸宅であった。
この蔵は修復され、当時のままの姿ではないが、
バックに母屋が大きく建てられていた。
当時の場所での眺めは、立ち並ぶ住居でまったく不可能である。
当初、バスが通行している高野街道と思って探していたが、
そうではなく、旧高野街道沿いのところの場所であった。
おまけ
長谷川さん?!