南山城界隈 ~酬恩庵(一休寺)
ここは酬恩庵、別名一休寺と呼ばれる臨済宗のお寺さんである。一休さんが晩年、生涯過ごしたことから、鎌倉期の禅の道場であった妙勝寺を再興し、「酬恩庵」と命名した。一休さんとは、あのテレビアニメソング‘好き好き好き・・・’のあの一休さんである。庫裏虎丘庵応仁の乱を避けるため、この地に引越しし、一休さんよりも40歳も若い盲目の女性、森女と生活をともにした住居である。このことは、『狂雲集』に赤裸々に書かれてい...
View Article彫物師 高松彦四郎 ~初代あるいは二代目か?
先日、某地車の彫物裏から‘高松彦四郎’の銘が発見された。この唐獅子、彫又でもなく相野でもない高松の彫であった。この墨書きは、唐獅子の裏面ではないが、ここに『 明治十六未年九月 新調彫物師 浪花住 高松彦四郎 作之 』 とある。高松彦四郎の銘は、寺院彫物や太鼓台にも発見されている。『 太鼓細工人大坂南堀江上三高松彦四郎...
View Article紅葉スペシャル ~山科編
12月に入れば紅葉も、もう終盤を迎えるが、以下の写真の時期は11月中頃。ポピュラーの場所では大勢のにぎやかさだが、マイナーのところはごく数名、知られていないところでは、我が独り・・・。琵琶湖疎水 山科アオサギ毘沙門堂参道毘沙門堂 本堂本堂の犀秀典寺西本願寺山科別院清閑寺 東山新日吉神宮...
View Article紅葉スペシャル ~洛北編
紅葉というもの、処により幾分か見ごろ時にムラがある。桜の開花と比べれば見ごろ期間が少々長めだがその反面、一斉に色づくタイミングが非常に難しく思われる。。八瀬隣好院寶幢寺栖賢寺蓮華寺三明院 三宅八幡神社霊鑑寺...
View Article紅葉スペシャル ~宇治編
どうも紅葉を撮る場合、燦燦と輝く日光がないとうまく撮れない。桜のときは、曇り空の天気でも周囲のトーンが相まって結構きれいに写せるが、紅葉となればそうもいかない。白山神社鳥居を潜り、石橋を渡ると結構急な石段がある。ここを登りつめると、意外な住居風の拝殿がある。四方を高欄で囲み、屋根は寄棟造りで葦葺き。宇治離宮の建物といわれている。このような形式のものは、初めて観ました。拝殿前の本殿本殿の獏鼻見るからに...
View Article彫物師 花岡良造義信 ~その1 龍の目は虎の眼
吹田市に北河内型のだんじりがある。この地車、もともとこの地での新調ではなく北河内方面から中古で購入された。高欄下の組物を見れば、まさに讃良型の形式を成すものである。小屋根下には、花頭窓風の三枚板が入れられている。数十年前、大阪工業大学の研究チームが、高濱神社や泉殿神社の地車を調査した結果、棟札や墨書きが発見された。この都呂須の地車には、「彫物師...
View Article彫物師 花岡良造義信 ~その2 小林源蔵
これは四條畷市にある花岡良造義信の龍北出小松や相野よりも大胆な構図の龍を施す彫物の裏面に、『摂州 浪花住 花岡良造義信 彫刻之』とあるここで、「摂州・・・」と書かれた墨書きを思い出した。私が二十年前ほど前に見つけたこれである。『摂州西成郡 大坂安土町 細工人 小林源蔵...
View Article彫物師 花岡良造義信 ~その3 小林源蔵は花岡系?
さて、「小林源蔵」の銘のある太子田地車、後車板に注目すれば、この唐獅子、やはり、北出地車の唐獅子に形態が同じである。北出 木鼻について見れば、北出地車の木鼻は、服部系の彫物が付いているので比較検討できない。しからば、太子田、都呂須、深野北の木鼻を見てみると、太子田都呂須深野北やはり、イメージが一致する。小林源蔵なる彫物師は、花岡一門の出身か、あるいは良造の弟子なのか?つづく・・・、
View Article彫物師 花岡良造義信 ~その4 花岡流の彫
今のところ、三台の地車の彫物しか花岡良蔵の彫を検討できない。この龍を見ても、深野北太子田両龍の彫物の素描は似ているが、良蔵の彫とは考えにくい。だが、柄振板の龍を見れば、都呂須深野北やはり、渦巻く雲を施した龍は、同一門の下絵にあるものと考えられる。都呂須深野北都呂須深野北唐獅子の顔や麒麟の構図や雲は、間違いなく花岡良蔵のタッチに匹敵している。都呂須地車が、天保六年の作であるから、深野北(花岡部分の彫)...
View Article北出地車とその彫物 その1
昭和九年、非常に勢力の強い第一室戸台風が関西圏を襲った。寝屋川市にある河北大神社も甚大な被害を被り、境内にある大楠?の大枝が折れ、傍にあった地車小屋を倒壊させた。もう曳かれなくなっていたのか、大枝とともに地車も処分され雁屋の某宅へ地車は運ばれた。当時、雁屋の隣町にある旧北出地車は、小屋横の池に落ちて損傷が大きかったのでこの河北の地車を譲られたそうである。北出地車は、背高約4.8メートルの北河内讃良型...
View Article北出地車とその彫物 その2 彫物師 山本丈ェ門
北出地車の彫物で、拝懸魚のみ彫が優れている。北出この鳳凰の構図や顔を見れば、正しく小松の彫である。ちなみに明治12年の北條中ノ町地車のものと比べれば、ほぼ同系列の彫師に違いない。ところで、この彫物の裏面に墨書きが残っている。「明治四未十月上平間〇〇〇彫物師浪花山本丈〇・・・〇 通〇彫之」消えかかっていて、これ以上わたしは読めない!もうひとつ、「彫物師...
View Article2018年 新年はここから始まった!
2018年新年はここから始まった!後光が差している?雁屋地車どの部分の彫を観ても、繊細かつ精巧にくっきりと彫られている。手を抜いたところが全くない。保存会、世話人の方へ、振る舞酒や猪汁をいただき、本当にありがとうございました。
View Article鳴滝から高尾界隈 その1
福王子神社社殿は寛永二十一年(1644)の造営。本殿蟇股‘椿にミミズク’?西寿寺万治年間(1660)ころの建立京彫神護寺高尾の名刹ここのお寺さんへ行くには、バス停から石段を下り、朱色の橋を渡ると参道に出るここから上りの石段。見えてきたものは、楼門元和九年(1623)の再興平安期の創建であったが、度重なる災害や応仁の乱の兵火で焼失。法輪の蟇股金堂金堂への石段は、時代劇のシーンでよく撮影される。古そうに...
View Article鳴滝から高尾界隈 その2
高尾を流れる清瀧川新緑の春とか紅葉の秋ならともかく、この冬場では、どうも・・・。西明寺の指月橋本堂元禄十三年(1700)桂昌院の寄進桂昌院とは徳川五代将軍綱吉公の母親三宝珠の蟇股庭園にあった石柱何故か、お馬さんが、高山寺石水院の山門石水院(国宝)は塀に囲まれて見えない。ここにあの有名な‘鳥獣戯画’の絵巻のレプリカと湛慶が彫ったという、明恵上人愛玩の木彫がある。(こちらはホンモノ)明恵上人愛玩の仔犬...
View Article泉涌寺界隈 その1
この日、三十三間堂(蓮華王院堂)の門前が何故か大勢の人だかりでごった返えしている。そうそう、本堂横で‘矢通し’の行事が行われる日であった。以前は成人の日の十五日と決められていたが、休日の改定で十五日に近い日曜日に変更されている。この三十三間堂の東側、後白河法皇のゆかりのお寺さん法住寺では、大根焚きの法要が行われている。サザエさんの原作者、長谷川町子さんの遺骨が安置されている。暮れの十二月には、京都の...
View Article泉涌寺界隈 その2
泉涌寺泉涌寺の大門(山門)を潜ると泉涌寺の仏殿が見える。普通、境内の山門から見える各堂宇は見上げる地にあるが、ここは下り坂にある。仏殿は、四代将軍徳川家綱による再建(寛文八年1668)天井には狩野探幽の雲龍図がある。浴室の牡丹の彫物左 舎利殿 右...
View Article京都桜紀行 その1
京都の春と言えば‘桜’、何しろ、枝の棚引きが他でもないダイナミックさを物語っている。<上品蓮臺寺>上の黒い点のようなものはカラス山門の象鼻ここ上品蓮臺寺境内には、「源頼光の塚」があり、別名「蜘蛛塚」とも呼ばれている。もとは千本鞍馬口あたりにあったものが、昭和期に移転され、土蜘蛛が住んでいたところと伝わっている。その伝説は伝説を生み、このように伝わってきたものか?〈平野神社〉ここの境内は桜...
View Article京都桜紀行 その2
〈翔鸞小学校〉〈千本釈迦堂〉しだれ桜は、滝のように落ちるがごとく、その枝先が地面まで触れている。〈立本寺〉古木の梅のような広がり桜で本堂が全く見えない。〈浄福寺〉浄福寺となりの弁天堂の獏鼻〈首途八幡宮のとなりの公園〉〈本隆寺〉ただいま本堂修復中でございます。〈雨宝院〉この時はつぼみ多しでしたが、今は満開すぎかも?拝殿の獅子鼻〈西陣小学校〉〈妙蓮寺〉〈報恩寺〉〈妙顕寺〉唐門の龍
View Article京都桜紀行 その3
〈妙覚寺〉〈水火天満宮〉〈御霊神社〉昨年設置された応仁の乱、御霊合戦の石碑〈佛陀寺〉本堂 降鶴仙人〈本満寺〉この時分、だいぶ散っていました。〈京都御苑〉〈鴨川〉今年2018年は、昨年よりも10日ほど早い開花で、日昼の気温が高いせいか、一気に開花し、散りぎわも早く感じられた。
View Article