北出地車の彫物で、
拝懸魚のみ彫が優れている。
北出
この鳳凰の構図や顔を見れば、
正しく小松の彫である。
ちなみに明治12年の北條中ノ町地車のものと比べれば、
ほぼ同系列の彫師に違いない。
ところで、この彫物の裏面に墨書きが残っている。
「明治四未十月上
平間〇〇
〇
彫物師
浪花
山本丈〇・・・
〇 通〇
彫之」
消えかかっていて、これ以上わたしは読めない!
もうひとつ、
「彫物師 山本丈ェ門」
後ろの拝懸魚は、
これも正に小松彫
明治四年といえば、小松福太郎の旺盛な時代、
同じく明治四年作のものと比べれば、
南新田・元町
お猿さんの顔に注目すれば、
北出
南新田・元町
何気らしく似ているところがある。
この左上の羽を噛んでいるお猿さんは、ここにもあった。
奄美
山本丈ェ門なる彫物師、
小松一門で彫っていたのか、
それとも小松福太郎の指導を受けていたのか?
また、明治四年?に布市から河北に渡るときに、
新たにこの懸魚のみ新調されたのか?
謎は深まるばかりである。
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