先代の鶴橋だんじりは、他の地車よりも抜きん出た彫物で、
解体された彫刻類は現在、地車倉庫内のガラスケースに保存されている。
また、文久元年(1861)彫又によって作成されたと伝わっている。
ほぼ正面のものと思われる、形相の鋭い獅噛。
何と、この獅噛に瓜二つのものがここにあった。
この地車は災害により大破し、この獅噛も損害を被った。(災害前)
両者を比べると、細かい部分は少々異なるものの
同彫物師によって刻まれたものと感じられる。
車板の龍の彫を観れば、
ほぼ源蔵バージョンの龍で、
車板の麒麟は、源助バージョンの絵様である。
先代鶴橋の麒麟 (車板) 北條辻ノ町地車の麒麟
先代鶴橋の桁隠し
保存された彫物類は小松系の彫物が多く見られ、
なぜ「彫又」なのか解からない。
また文久年間の彫物としては、あまりにもダイナミックな獅噛で、
恐らく、源蔵バージョンの龍が見られることにより、
文久年に製作され、約20年後に獅噛などを取り替えられたと
いっても過言ではなかろうかとも思う。
ただ私の思いだが・・・。
もうひとつ、唐破風と一枚の車板が残されている。
これは大正期に曳かれていた神戸型?の地車のものなのか?