Quantcast
Channel: 彫物名鑑 小松堂
Browsing all 446 articles
Browse latest View live

Image may be NSFW.
Clik here to view.

向日神社 ~明治神宮のモデル

向日市にある向日神社創建はかなり古く、養老二年(718)で、『日本書紀』が成立する二年前である。大鳥居から境内までの参道が、200メートルはあろうかと石畳が長く、桜の木で覆われている。四月頃に訪れば、凄い光景に違いない。拝殿もともと、南向きで建てられていたのが、地震の影響?で文政三年(1820)に東向きに建て替えられた。木鼻や龍の彫から京都の彫師と思われる。本殿は、覆屋内に囲まれているため、内部を伺...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

粟生光明寺 ~巨大な欄間彫刻

ここは長岡京市にある光明寺東山区にある「金戒光明寺」と区別するため「粟生光明寺」と呼ばれる。建久九年(1198)、蓮生坊(熊谷次郎直実)により創建と伝わっている。応仁の乱や山崎の合戦など度重なる火災により再建を繰り返し、現在に至っている。阿弥陀堂...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

笹部のだんじり

ここ川西市笹部には、二台のだんじりがある。下財町型式としては、川西市に多くある大工仕事で、彫物というほりものは、懸魚と木鼻、脇障子くらいしかついていない。竹に虎新調の龍この木鼻を見れば、相野さん!飾付け後刺繍飾幕は龍虎年代物で素晴らしい山下町鯉の滝登りおっと、鶴の頭が付いているが、本体は鳳凰の体!木鼻を見れば相野さん~、しかも伊さん系統!ここの刺繍幕も素晴らしい。義経さんの八艘飛び?何故か、修行の師...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

笹部界隈 ~川西市

川西市笹部にある大きな境内のお宮さんかっての林間学校で訪れたところにあるような静寂な佇まい拝殿に何やらの彫物が・・・、高野山で見たやつに似ているが、彫師不明。手挟の牡丹この造形から、江戸末期や明治前期の作でない(もっと後)と思われる。住宅地から少し離れると、このような光景が・・・。大昌寺ライオン風の獅子川西市郷土館の旧平安邸(多田銀山の精錬所)移築の庭この庭で見つけた古風な蓮華寺灯籠?なお、マッサン...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

貝塚界隈 ~感田神社・尊光寺

感田神社で目を見張る‘神門’と呼ばれる巨大な楼門安永九年(1780)神輿波頭の懸魚(彫刻はこれしかなかった)寺内町の環濠跡かって、集落の外を濠が廻らしていたが、今ではここ感田神社内しか見られなくなっている。尊光寺山門うむ、これらの彫は、木下系の彫か?市天然記念物のカイヅカイブキ鐘楼蟇股 飛天この獅子鼻は最良の出来!この彫は、おそらく櫻井系の彫?

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

貝塚界隈 ~願泉寺・満泉寺 中町太鼓台

ここは貝塚御坊と呼ばれる大きな境内の願泉寺さん。表門 元禄三年(1690) 和泉 嘉右衛門 作木鼻の装飾は施していない。唐獅子龍龍の裏麒麟犀(海馬ともいう)大瓶束の鬼面応龍太鼓楼(享保四年 1719)と井戸屋形(文政元年 1818)井戸屋形の龍本堂 寛文三年(1663) 再建鳫と亀向拝の手挟菊に錦鶏獏鼻満泉寺本堂 寛政十一年(1799)の再建青獅子の親子内陣の襖絵...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~獅噛~

小松系の獅噛は、相野や彫清系よりも変化に冨み、瓜二つというようなものが少ない。小松源助(八代目)の獅噛にも、多様なバリエーションがあり、そのオリジナル性を見出すことは困難である。さて、八代目源助の洗練された獅噛がここにある。奄美 (推定明治18年)この完ぺきなデザインは、九代目源助に受継がれる。    彼方 (明治22年)  H氏撮影...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

東山界隈  ~建仁寺 

京都最古の禅寺、建仁二年(1202)に栄西禅師が創建したが、再三の火災により、当時の堂宇は残っていない。勅使門  平重盛の六波羅邸の門の移築と伝えられている。三門庫裏俵屋宗達の風神雷神図屏風(高精度デジタルプリント)本物は京都国立博物館に寄託渡り廊下の懸魚と牡丹?の彫物海北友松の雲龍図(高精度デジタルプリント)デジタルプリントになってしまえば、撮影可能!?渡り廊下東門の彫物...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る  ~福太郎と八代目源助

小松福太郎を語る前に、今から二十数年前、彫物研究家W氏により小松福太郎と八代目小松源助がイコール、つまり同一彫師として見解されている。そもそもある墨書きの影響により、源助の幼名を福太郎とし、それ以後の源助の彫と同彫師とされているところにある。W氏が福太郎の彫を熟知してそう言われるのなら承知するが、誰が見てもまったく異なる細工である。このことが未だに定説になっている。以下、刻銘のあるほぼ完成された彫物...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~初期の福太郎作

小松福太郎の初期の彫とは、どのようなものか?今から数年前、解体された千林の彫物から、‘福太郎’の墨書きが発見された。千林 (M氏撮影)この車板の彫物を観るなり、私の度肝を抜かれた。こんなものが、残っていたとは…、このボテボテ感の体つき、大胆な尾のたなびき、まさに、福太郎さんである。年代は不明だが、ほぼ福太郎さんの中期ころに値すると思われる。この彫物と後期の彫物と比べてみると、...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~福太郎の獅噛

小松福太郎の獅噛は、さまざまな容貌があり、そのバラエティに富み、定番のものが非常に判りづらい。なんとなく中途半端な彫も多く、初期のものは源蔵のデザインから仕上げたものと思われるものがある。善根寺善根寺の大屋根後の獅噛は、まさに源蔵のモチーフを福太郎が仕上げたように思える。千林...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~福太郎の龍

小松福太郎の龍も獅噛と同様に、はっきりとしたポイントがなかったが、千林の発見により、その特徴が見えてきた。千林 (M氏撮影)やや龍顔が大きく、肢や爪が太くて大きい特徴があると言える。福太郎初期の龍木間福太郎の面影のある初期の彫平野屋南新田・元町以上が明治初年までの彫、それから明治11年の茨田大宮の彫茨田大宮(旧下村地車の解体した彫物) 明治11年...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~福太郎と八代目のコラボ?!

この彫物を観たとき、なぜこのようになったのかと考えたことがあった。西ノ口左方の唐獅子左方の唐獅子は、福太郎のモチーフで彫られ、右方の唐獅子右方の唐獅子は、八代目源助のモチーフで彫られている。普段、左方の唐獅子の顔は、もっと長細い顔状で彫られるのが常であるが、この情景では、川を越える親子唐獅子に見えなく、異種同士の争いのように見えたのではと思う次第である。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~鷲と猿

北河内のだんじりの後懸魚には、いたって‘鷲と猿’が彫られる。打上上なぜ、この絵様を採用されたのかは謎であるが、この‘鷲と猿’、犬猿の仲ではなくて、鷲が猿を助けているのだという。仏教説話によれば、鷲が観音さまで、猿は煩悩から奈落の底に落ちた人間を表し、地から救い上げているのだといわれている。さて、福太郎や八代目源助の鷲(ワシ)は、どちらかというと鷹(タカ)のように見える。鷲と鷹の区別は、もっぱら大型の...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~雁屋の請負書と北條北ノ町地車

その前に、明治15年の雁屋地車新調時に遡ってみる。当時、きっての名彫物で名高い北條北ノ町地車がある。雁屋の世話役さんが雁屋地車新調時の際、この北ノ町地車の彫物よりも見劣りのしないりっぱな彫物を大阪本町四丁目の彫物師小松源助に依頼した。小松源助は、同年10月27日に彫物代金235円、内手付金10円とし、北條北ノ町地車の彫物に寸分相違いないよう仕様書どおり、極上に仕上げると契約を交わした。雁屋地車請負定...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

小松源助を視る ~究極への挑戦

小松源助は、雁屋の世話人さんから高度な依頼を引き受けたうえ、彫物師の意地にもかけて、彫物を極上に仕上げると言い切った。彫物で名高く評価されている北條北ノ町地車を観たとき、この彫物に強い印象を受けたのに違いない。北條北ノ町地車の‘鷲と猿’非常にしなやかで繊細な彫で、しかもお猿さんが、拾い救ってくれた鷲を拝んでいるポーズをとっている。‘拝み猿’のポーズは、大道地車(太子町)や江ノ口北地車で見られるが、大...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

大和型太鼓台の魅力 

一般に太鼓台と言えば、‘蒲団太鼓’が主流だが、大和方面(奈良)には屋根のある太鼓台が存在する。社寺建築で見られるような、入母屋造りの屋根と唐破風(軒唐破風)を組み合わされた複合の屋根を備える。まさに、社殿といようか、お堂のミニチュア建築でこれまた姿かたちが非常に美しく華麗である。これらの太鼓台は‘大和型太鼓台’と呼ばれている。奈良全域にあるわけでもなく、ほぼ天理・櫻井方面から宇陀・東吉野方面に集中さ...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

新田西地車 お披露目入魂式!

新田西地車が新たな姿で帰ってきます新田西 (1994.10.20撮影)垂木が凄いことになっているとか?お楽しみです!(新田地車保存会 橋本様から連絡、10月1日 午前10時から入魂式)

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

東山界隈 ~両足院・歌舞練場

建仁寺塔頭の両足院初名は知足院と呼ばれていた。両足院臨池亭からの眺め織田有楽斎お気に入りの茶室の写しの「水月亭」(左)と臨池亭(右)半夏生の一輪挿し祇園甲部歌舞練場黄色のカボチャみたいなものは、草間彌生さんのオブジェ玄関の欄間(菊)きめ細かい彫 (仔細不明) 大正2年JRAのお馬のぬいぐるみ

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

河原町通界隈 ~正行院

崇仁の船鉾復元された崇仁地区の船鉾新日吉神宮の祭礼に曳かれる崇仁地区の船鉾は、昭和30年代を最後に曳かれなくなり、そのまま放置されていましたが、平成10年に修復され、曳行が復活しました。装飾金具や彫刻類は京都市の有形民俗文化財となっています。ガラス窓越しから撮影正行院...

View Article
Browsing all 446 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>