小松源助は、雁屋の世話人さんから高度な依頼を引き受けたうえ、彫物師の
意地にもかけて、彫物を極上に仕上げると言い切った。
彫物で名高く評価されている北條北ノ町地車を観たとき、この彫物に
強い印象を受けたのに違いない。
北條北ノ町地車の‘鷲と猿’
非常にしなやかで繊細な彫で、しかもお猿さんが、拾い救ってくれた鷲を
拝んでいるポーズをとっている。
‘拝み猿’のポーズは、大道地車(太子町)や江ノ口北地車で見られるが、
大道地車(太子町)
江ノ口北地車
北ノ町のようにここまで刻みのあるものは、ひとつとして類を見なし、
また北ノ町地車の中で唯一の彫物と言っても過言ではない。
この強い印象を受けた源助は、雁屋の彫物に反映させた。
雁屋地車 (T氏撮影)
いつものぶ厚い冠羽のある鷹の彫にせず、あえてこの北ノ町の彫のような
鷲を刻んだわけである。
改めてこの彫を観ると、他の部分の彫物よりも一段と磨きがかかった彫に観える。
これ以後小松源助は、この鷲を施すことはなかった。
そして小松源助は、弟子たちと期日までに着々と彫物を完成させたが、
ここで意外な彫物変更を行った。
小松源助は彫物製作途中、小膝を叩いてはたと思った。
「このままでは、北ノ町と見比べてあまり変り映えしない・・・」と、
そこで、つぎの彫物図案を考え出した。
正面左右の木鼻を迎え龍の彫物に変更することにより、
より一層見ごたえのある地車になると。
これは定約書の彫物仕様にないことである。
「これならきっと北ノ町をしのぎ、見違えるものになると・・・」
(T氏撮影)
(K氏提供)
(T氏撮影)
懸魚の鳳凰の裏側も丁寧に彫られ、手の抜いたところがない! (K氏撮影)
完成後、手の抜いたところがひとつも見当たらず、まさに極上仕上げに至った。
お披露目のとき、彫物を変更したのにもかかわらず、何の苦情も出ず、
しかも歓声の渦に巻き込まれるほどの賑わいであったそうな!
小松源助にとって雁屋地車は、極みに懸けた彫への挑戦であった。
おわり
[以上の文面はフィクションであり、雁屋および小松源助の真実とは、何の関係もありません]