崇仁の船鉾
復元された崇仁地区の船鉾
新日吉神宮の祭礼に曳かれる崇仁地区の船鉾は、
昭和30年代を最後に曳かれなくなり、そのまま放置されていましたが、
平成10年に修復され、曳行が復活しました。
装飾金具や彫刻類は京都市の有形民俗文化財となっています。
ガラス窓越しから撮影
正行院 (猿寺)
天文七年(1538)に円誉上人が開山した寺で、‘さる寺’とも呼ばれています。
そもそも‘猿寺’の云われは、その昔、ある猟人、完又十郎なるものが、
一匹の猿を弓で仕留めようと狙ったところ、その猿が首にぶら下げていたものを
指に引っ掛け合掌をした。それに驚いた猟人は、「命ほしければ、そのものを
置いて行け」と言ったところ、猿はそれを置き、とっさに逃げ命拾いした。
猟人は置いていったものを開いてみると、何やら紙切れに「南無阿弥陀仏」と書いてあった。
後に猟人は、正行院の円誉上人が書いたものだとわかり、
話を聞きに行くと、円誉上人が京都北山で修行中、よく遊びに来る猿が、上人のために
自然薯を採ろうとして崖から落ちて亡くなったそうな。
上人はその猿を弔い、他の猿一匹ずつにお守りを授けた。
その話を聞いた猟人は、改心し、上人の弟子となり、今まで殺生してきたものを
敬い供養し出家された。
このことが世間に広まり、災難が去ることから‘さる寺’と
言われるようになったという。 (正行院縁起)
本堂には、国内外500体あまりの人形や置物、お土産品のお猿さんがいて、
中でも、お釈迦さんが説いた『八正道』を猿の体で表した八猿がいるそうです。
‘見ざる・聞かざる・言わざる’の他、‘為(な)さざる・持たざる・思わざる・忘れざる・合掌ざる’があり
一度は観てみたいものです。
なお、数年前にご住職がなくなり、現在は非拝観となっています。
境内の親子猿石像と考え猿?
合掌のお猿さんの看板
正行院に隣接する輪形地蔵の蟇股
ミミズク?
文子(あやこ)天満宮
文子天満宮の牛さん
多治比文子像
菅原道真公の乳母で、北野天満宮の前進のお宮といわれている。