小松福太郎の龍も獅噛と同様に、
はっきりとしたポイントがなかったが、
千林の発見により、その特徴が見えてきた。
千林 (M氏撮影)
やや龍顔が大きく、肢や爪が太くて大きい特徴があると言える。
福太郎初期の龍
木間
福太郎の面影のある初期の彫
平野屋
南新田・元町
以上が明治初年までの彫、それから明治11年の茨田大宮の彫
茨田大宮(旧下村地車の解体した彫物) 明治11年
後車板の刻銘
この彫を観たとき、福太郎がほぼ10年後に彫ったものと
思った時もあったが、彫がスリム化しており、さらにシャープさも備わっている。
つづく北條中ノ町、
北條中ノ町
(眼の入れ方でずいぶん印象が変わる)
雁屋
蒲生聖賢
明治11年からみられる小松源助は、龍の彫に関しては福太郎のモチーフで彫っており、
さらに福太郎の荒彫りや指導もあったと思われる。
福太郎イコール八代目源助とするのなら
あまりにも長期の活躍とその作品の多さに驚かずにはいられないであろう。