川西・池田から野勢界隈 その3 能勢妙見山にあの彫師が、!!
能勢妙見山には、いろいな諸堂があるが、ここの御堂(名称不明)にも彫物がある。鳳凰麒麟唐獅子唐獅子牡丹?さて、今回の目玉彫物、浄水堂(手水舎)にあの彫師が?浄水堂彫物は獅子鼻四対のみで判断は難しいが・・・、この彫を見れば、「藤七彫」。浄水堂の建立年代は不明だが、四代目中村歌右衛門が寄贈されたことが判っている。調べによると、四代目歌右衛門は、1852年没であるから嘉永五年以前の作であることには間違いなく...
View Article川西・池田から野勢界隈 その4 法輪寺
能勢妙見山から下ったところに法輪寺がある。ここのお寺さんの本堂に目を見張る彫物がある。法輪寺 本堂ここの彫物、何と「彫物師 服部清七満朝」ということである。何を隠そう、これは川面東のあにきさまの調査によるもの。文化四年(1807年)...
View Articleここにもあった彩色彫刻 ~伏見編 その1
ここは伏見にある御香宮神社正面南側にある巨大なる門神社関係の山門というよりも、城郭にふさわしい大門。そもそも伏見城下にあった大手門の遺構である。彫物は正面軒下いある蟇股4ヶのみ。...
View Article彫物師 服部清七満朝を探る!
服部一門の中で、ひときわ優れた彫物師がいる。それは、服部清七満朝である。「服部」一門や、この満朝についても詳しい資料文献などいっさい残されていない。しいて残されているのは、商人買物独案内 (文政三年刊)のみである。そこで、法輪寺の彫物が満朝ということなので、その特徴から満朝の彫を探ってみる。まずは、龍から法輪寺 文化四年 1807年信證寺 文化六年 1809年 大和高田 極楽寺 文化九年~文政五年...
View Article名古屋の彫物師 志村流張
昨年紹介した西光寺さんの彫物師が判明した。それは、名古屋(尾張)の彫物師 初代志村流張。初代流張、志村桑次郎師は、明治25年生まれ。彫常二代目に師事し、大正期に長野善光寺仁王門の再建に加わった。西光寺 阿倍野この凄い強烈な、一度見れば忘れない獏鼻、しかも、いやみのない彫。この獏鼻は昭和10年再建の西光寺本堂にあった。惜しくも阿倍野区再開発のため、本堂や境内は解体された。西光寺山門...
View Article祭りの音・祭りの声 始まる!
大東市立歴史民俗資料館にて、“祭りの音 祭りの声”が開催されました。今回は、大東市各地区のだんじり曳行時の掛け声や地車囃子の譜面を紹介しています。そして、旧御領だんじりの実物大のパネル!!大きすぎて展示室内に入りきれなく、カットされています。実物大の土呂幕さて、今回の目玉展示と言えば、旧御領地車の三枚板と隅障子の彫物展示。おまけ
View Article彫物師 中川一門をめぐって その1
彫物師 中川一門との出会いは、今から二十数年前、日もとっくに暮れたころ、この彫物から始まった。「中川佐助尉」とは、・・・・?有間神社 寛政八年 (1796年)つづいて出会ったのは、...
View Article彫物師 中川一門をめぐって その2
中川一門は、ほぼ社寺彫刻に仕え、それらしき彫物がお寺にも見られる。圓照寺浄念寺 寛政二年信行寺そして銘のある彫物がここにあった子安阿弥陀寺 「弘化二年作之 ○○師 中川嘉兵衛 保義」?もっも参照となる彫物は、応其寺の欄間のみだが、こいうのもある。 これ如何に!!
View Article小松源助2016 その2
寺社彫刻でもっとも多く彫られている霊獣は、‘龍’である。大概の龍は、狩野探幽の水墨画などから模倣されたものか、何故かグニャグニャとした印象を受ける。日光東照宮陽明門おおかたの龍の彫物は、この容姿になるが、かっての浪花彫物師の龍は、シンプルでシャープ、おまけにハンサムさを備えている。長く伸びる口ひげも銅線を使用し、かっこいい。特に八代目源助は、龍の彫物を得意としていた。蒲生聖賢ここで、八代目源助の龍の...
View Article小松源助2016 その3
さて、この彫物を観て戴こう。雁屋これは、八代目源助の特異的な顔つきをしている麒麟である。‘阿吽’の口を閉じた吽の麒麟。雁屋アゴがさほど長くなく、平べったい顔である。以下、茨田大宮北條中ノ町北條中ノ町奄美奄美では、この彫物ではどうか?灰塚形態は少し違うものの、ほぼ同一の彫師が彫ったものと考えていいのでは?次に、小松福太郎の中で、最高作と思われる麒麟。善根寺福太郎の‘吽’の麒麟は上あごが長く反り、体つき...
View Articleここにもあった彩色彫刻 ~伏見編 その2
前回の続き御香宮神社の拝殿や本殿にも、北野天満宮に負けない蟇股彫刻がある。竹に虎松に親子鷹松に鷹鴫唐獅子菊?に山鵲椿に?鳥沢潟・水葵に鴛鴦二十四考の孟宗松・蜜柑に霊亀梟松・蜜柑に霊亀紫苑 ?鳥栗に親子猿?に山鵲鳳凰つづく・・・、
View Article2016 秋太鼓台 ハイライト その1
屋台の中央に大太鼓を据え、太鼓を叩きながら練り歩く祭具屋台を太鼓台という。一般に天井上部に大きな蒲団を積み重ねたものを蒲団太鼓、社寺建築様式の屋根を備えたものを社殿型といい、これは奈良方面に多いので大和型ともいう。地区によっては、台車に載せて曳くので‘だんじり’とか、また屋根が神輿風なので‘みこし’とか呼ばれているが、神輿というもの、本来、神の依代が乗るもので、人が乗るものでなくまた、鈴以外の奏でる...
View Article2016 秋太鼓台 ハイライト その2
ここの三段の蒲団太鼓は少し小型、だが、木鼻と狭間に観たものは・・・、なんと、明治10年前後の小松さんだ! ほぼ、八代目源助のオリジナリティは十分にあるといえよう!つづく・・・、
View Article2016 秋太鼓台ハイライト その3
太鼓台で一番興味深いのが、社殿型太鼓台。大和方面に多くあるというより、大和で生まれた形である。 この入母屋式屋根と唐破風のコンビネーションが、これまた美しい!彫物も北河内のだんじりと同じく、神獣・霊獣もの。 残念ながら狭間の龍首が、四面とも欠落・・・、トホホホ。この手の太鼓台は、江戸末期から明治中期にかけて多く造られた。曳き手(担い手)の減少により、お蔵入りされたところも多々ある。...
View Article2016 秋太鼓台ハイライト その4
太鼓台というもの、ピンからキリまである。様式にとらわれなく、子供用として手軽に作ったもの。杉の葉?が屋根に載せてある。また少々時代感はあるが、本職の大工が作ったもの。屋根は銅板葺ごく最近、新調されたものいづれの太鼓台でも、彫物類はいっさい装飾されていない。だが、目を見張る屈指の芸術と言わんばかりの大和型があった。明治十年丁丑九月の年号があり、 細工人として‘式上郡柳本村...
View Article2016 秋太鼓台ハイライト その5
こちらは一枚屋根、唐破風の太鼓台担ぐのは大変なので、台車がつけてある。こちらも一枚屋根屋根廻りなど修復新装されているが、彫物などは、新調当時のもの。こちらは四方向唐破風をもつ太鼓台獅噛も四枚あるおっと、この風貌は‘長谷川'さんだ!長谷川さん得意の正面顔の唐獅子この唐獅子は、長谷川さんにしてはすばらしい彫!つづく・・・、
View Article興味深いだんじり!!
ここのだんじりには、四団体の彫師一門の彫が見られる。市東正面獅噛と懸魚、桁隠しは数十年前、修復のために彫ったもの。しかし、車板をみれば・・・、おっ、源蔵さんの龍ではないか!他の部分をみても小松と言えるのは、この龍の彫のみ。下高欄、土呂幕を観ると、う~ん、人物ものは彫又さんのよう。後面の獅噛を見れば、 うわぉ~、これは徳兵衛さんだ!枡合に目をやると、ここにも・・・、 徳兵衛さんが・・・。...
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