太鼓台というもの、ピンからキリまである。
様式にとらわれなく、子供用として手軽に作ったもの。
杉の葉?が屋根に載せてある。
また少々時代感はあるが、本職の大工が作ったもの。
屋根は銅板葺
ごく最近、新調されたもの
いづれの太鼓台でも、彫物類はいっさい装飾されていない。
だが、目を見張る屈指の芸術と言わんばかりの大和型があった。
明治十年丁丑九月の年号があり、
細工人として‘式上郡柳本村 山岡喜平’の墨書があり、ほぼ宮大工側の銘であろう。
つづく・・・、
おまけトピック
本日の歴史民俗資料館のシンポジウムにおいて、
‘だんじり部材のクリーニングの意義’の報告の中で、
昨年、解体された竜間(経寺)のだんじりの彫物に墨書きが発見されました。
ほこりまみれになった彫物の裏面をクリーニングされたら、何と何と!
「彫物師 大阪本町四丁目
小松 源助
倅 小松 延治郎」 と現われました。
明治十二年時において、延治郎なる息子がいたとは?!
まずは、ご報告まで。