大東方面にみる『彫清』 その2 たて耳のシガミ
この「彫友」の特徴のひとつ、獅噛の一枚、真ん中の獅噛 (大屋根の後)のものが縦耳状となる。縦耳とは、サヤ状で耳穴側が外向きとなる形状である。(御供田)(谷川)(南出 四條畷)(中野本町 四條畷)(森 交野)この辺りからバージョン(作風)が少し異なる獅噛。(砂 四條畷)(大箇)(赤井)(打上下 寝屋川)(平野屋)この獅噛は‘本家’筋の彫。足の丸ボッチが大きいので、‘福太郎’の仕上げでしょうか。(打上上...
View Article大東方面にみる『彫清』 その3 御供田のだんじり
かって北河内に大きな深野池(沼)があった時代、その池の最南端、東端に位置するのが御供田村である。この地名‘御供田’、この字をまとめに読める人はいない難読地名である。‘ゴキョウダ’とか‘オクダ’とか、地元の人が聞いても一瞬ためらう。‘御供田’とは‘ゴクデン’と読み、通称‘ゴク‘という。社寺に属し、その御供料にあてる田地という意味である。古くは玉造の鵲森神社の社領であったり、石清水八幡宮の同社領とか伝え...
View Article大東方面にみる『彫清』 その4 南出のだんじり
ここに作成年代が明白なだんじりがある。四條畷の‘南出’のだんじりである。(南出 四條畷)四條畷の某M氏宅にその棟札が残されていた。『河内國讃良郡南野邨南出地車上棟』『みずのえ...
View Article漢高祖の龍退治 三題
漢高祖(劉邦)の龍退治は、彫物図案でしばしば利用される。これは、廻りの型取りからして、だんじりの車板に使用されていたものと思われる。察するに、これは三枚板のものであろうか、彫物師は、「彫又」さんのよう。これは、だんじりのものか太鼓台のものか、はたまたそれ以外のものか?不明である。では、これは・・・・、何やら龍の数が多く、甕のようなものも見える、おっと、失礼しました、これは、スサノウノミコトの大蛇退治...
View Article大東方面にみる『彫清』 その6 中垣内のだんじり
大東市内で唯一の式内社である須波麻神社。ここの神社のだんじりが、‘中垣内'のだんじりである。‘中垣内’とは‘ナカガイトウ’と読む。中垣内のだんじり...
View Article大東市界隈 その1
とうとうお膝元、大東市界隈の紹介となりました。さて大東市のお寺さんには、木鼻に獏鼻や蟇股に龍の彫物が付いてあるところが多くあります。ここのお寺さんには、親子唐獅子!!。(十林寺)一見、服部さんのように見え、ちょっとシビアな彫。木鼻は、象鼻。(十林寺)ここのお宮さんには、いろいろな彫物が・・・。牛、松、鳥でしょうか。(北條神社)おっと、この獅子鼻の彫は、泣く子も黙る‘小松彫'。大黒さんのような力神。も...
View Article大東方面にみる『彫清』 その7 小路のだんじり
中垣内の彫物に似ただんじりが寝屋川にあった、それは‘小路’のだんじりである。(小路)鬼板は、三枚とも獅噛タイプ、懸魚の鳳凰も正面向きで、中垣内のものと相異なる。 だが・・・、(中垣内)(小路)車板の龍は、中垣内の向って左向きに対して、こちらは右向き。顔や肢が同様の彫。枡合の麒麟では、(小路)...
View Article大東方面に見る『彫清』 その8 岩城縫師
小路のだんじりは、明治初期、「深野新田」から購入と伝えられている。「深野新田」とは、現 深野北ではなかろうか?(小路)先代の後幕源平合戦、義経が弓をひらうシーン先代前幕神功皇后と(竹内宿祢)上記の幕は、だんじり購入時のもの、明治初期の刺繍幕。そもそも、先々幕の包紙に、天保十三年寅壬、深野新田若中御連中への送り状?の墨書があったことによる。「小路第一区...
View Article神戸におった徳兵衛さん !!
ある神戸のだんじりの写真を探しているとき、ふと目に留まった彫物があった。何、何とこれは‘徳兵衛’さんではあるまいか!! 。今日まで、気が付いていないことに、我ながらにして恥ずかしく思った次第です。じつは、この龍、顔がほんの少し違うのだけれども、波頭や雲、爪に特徴あり!。...
View Article大東方面にみる『彫清』 その9 本家彫
『彫清』とは、初代柳原清兵衛からその名がとられている。はっきりいって初代とか生没年など全くわかっていないが、そもそも明治末期から大正期の「彫清」に四代目と書かれているところから話が展開した。(池島のふとん太鼓)初代と思える「柳原清兵衛」の名は、ここ東諸福のだんじりにその銘があった。(東諸福)東諸福だんじりのシガミの裏面に・・・、残念ながら、「○や柳原清兵衛」と「大工芳太郎」の部分しか読み取れない。と...
View Articleいったいコレは何・・・?
<その1>一見この木鼻を見たら、だんじりか何かの山車のように思えるが、ちょっと違うみたい・・・、何と、お地蔵さんのお堂でした!。<その2>これもお社なのか?・・・。小松さんのような獅子鼻!。左の獅子鼻と明らかに彫師は異なるが、・・・。これも、今では見ることのない豪華なお堂でした。<その3>これは何?、と尋ねてみたらだんじりの彫物だといわれた・・・。何かへんだと思い、画像を180度回転させてみたら・・...
View Article大東方面にみる『彫清』 その10 三代目彫清
『彫清』の中で‘三代目彫清’と書かれたものは、まだ発見されていない。‘四代目・・・’と書かれたものは、ほぼ明治末期から大正期のもの、その年代からさかのぼること、明治三十年代半ばにして、『彫清』の彫が多く存在する。以下、紹介するものは、ほぼ、‘三代目彫清’と推測される。このだんじりは、‘三代目彫清’の最高作と考えられる。(氷野)...
View Article大東方面にみる『彫清』 その11 小松との合作?
ここのだんじりにも‘パー猿’がいた。(深野西)鷹の頭部の彫が欠けているので、その意匠はうかがえないが、龍の彫を見れば、(深野西)寝屋川にあるこのだんじりに似ている。(打上上)枡合の麒麟では、(深野西)(打上上)しからばと、シガミのほうは、全く共通点はなかった。さて、打上上(ウチアゲカミ)のシガミに注目すると、このシガミ、『彫清』系統のものに大いに共通点があった。(打上上)まず、猪飼野のシガミ、本家筋...
View Article八尾界隈 その1
八尾界隈で、一番古いお寺さんと言えば、ここ、(顕証寺表門)この表門に大きな龍が寝そべっていた。ガマンできなくなって、金網から頭を出しているが、おっと、この龍、服部さんのような・・・、そう、以前述べた‘謎の彫物師’の彫だ。表門の表裏側の両方に龍がいた。裏側の龍は、足先を出しているだけなのでおとなしいが、恐らく、雄、雌の龍を現したものだろうか。顕証寺本堂、正徳六年(1716年)の再建。木鼻は象鼻で、蟇股...
View Article大東方面にみる『彫清』 その12 これも彫清?
四條畷にある巨大だんじり、そう、このだんじりも『彫清』。(清瀧)このシガミ、本家筋ではないが、‘彫清’の特徴がみられる。ただ車板の龍のみ、‘彫清’らしいところがないが、欄干の組物の龍頭は、『彫清』さんの特徴があった。このだんじりに近い彫が、高槻のだんじりにあった。(野田)ここのだんじり、もと星田方面から購入と云われている。だんじりの形式は‘讃良型’で屋根の両端が折りたたみ式の交野方式。屋根廻りの彫が...
View Article社寺彫刻 番外編
近世において大阪近辺の彫物は、かって旺盛だった‘浪花の彫物師’に取って代わり、各地の彫師による彫刻が取り入れられてくる。ここもそのひとつである。(圓徳寺)刻むは、播磨の彫物師 小河昭典。ここの神社の拝殿 (昭和2年?)(以下 白山神社)この麒麟の彫は、グッド!。刻むは、近江の彫物師 森村渓。
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