大東方面ではないが、
相野さんと彫清さんが同居するだんじりがあった。
以下、近年改修前の少し古い写真
(鴫野西)
屋根廻りは彫清さんだけど、シガミがちと違う!。
それも『藤七彫』 (『藤七彫』とは、相野藤七系統の図柄絵様の意)。
それに、
この獅子鼻も『藤七彫』、本人のオリジナルに近いが・・・?
もう二点、大改造前に使われていたという獅子の脇障子か持送りの彫物?。
この唐獅子の彫を見る限り、完璧な相野さんだ。
それでは車板を見ると、
後桁隠
前桁隠
三枚板
これらの彫は、彫清さんである。
以前、地元のO氏に尋ねたところ、川にはまったか何かで、明治期に彫物を一部取り替えた?そうである。
つまり、もとは相野さんの彫物が付いていただんじりを彫清さんの彫物を追加取替えを行ったものか、
あるいは、もともと二彫師同居のだんじりであったものか?
彫物を詳しく観ると、再度のみで皮剥ぎを行った跡が各所に見られる。
近年の改修後の三枚板
左の唐獅子が岩越しの図柄になっているのに注目!。
つづく・・・、