さて、この地車の一番目に付くところが、ココ・・・。
この豪快な獅噛、
彫物師は、俗にいう‘彫清’(ホリキヨまたは、ホリセイ)と思われる。
えっ、何代目かって?。
この彫が何代目とか書かれていないので、一概には言えないが、
恐らく、二、三代目当たりのものと考えられる。
この手のものは、大阪市内で数台、尼崎にもあり、
大東市内では、氷野、東諸福、御領がこの系統のものである。
それでは、大屋根後ろの獅噛は・・・、
何と、前二枚の獅噛と全く手の異なる仕事!。
だいたい‘彫清’の獅噛というもの、ほぼ三枚とも形相をそろえる傾向がある。
この獅噛に似たものがあった。
そう、都呂須(吹田)の大屋根後ろの獅噛である。
完全に一致していないが、雰囲気は似ていると思われる。
都呂須地車の大工は‘河北新田大工・・・’の銘のある地車。(現在の寝屋川市河北)
では、都呂須と深野北の麒麟を比較すると、
(都呂須)
(深野北)
ほ、ほう~、小松や相野、服部にない彫。
両者を比較するとすごく近いように思えます。
こちらの獅噛にも似ています。
(太子田)
太子田地車には、「・・・安土町 彫物師 小林源蔵?」の墨書きがあるが、
これが、また私の頭を悩ませた。
いっそう、龍を比較すると、
(深野北)
(都呂須)
(北出)
(太子田)
なんだかなぁ~、都呂須と北出には「彫刻師 花岡良造義信」の銘があるのだが・・・。
つづく・・・。