さて、下図の写真は少し前のもの。
高欄下を受ける、肘木と斗の組み物は10本式で、
北河内讃良型としては、少々小ぶりの大きさ。
ほぼ大東・四条畷で作られたものに相違ないと思われる。
彫物形式は、北河内讃良仕様で、
後車板が何故かこのような彫物が・・・。
そう、三国志演義の‘劉備玄徳の壇渓渡河’の場面。
この部分には十中八九、‘夫婦唐獅子’か‘獅子の仔落し’の図柄が通常である。
その廻りには、三国志トリオのコンビ、張飛や関羽の彫刻が見られなく、理解に苦しむところ。
もうひとつ、
虹梁の各隅に‘持ち送り’の彫物をつけているところにある。
普段、この部分は飾幕を取り付けるので、幕に隠れて見えなくなる。
内幕式(柱の内側から張る)としてこの持ち送りをつけたものであろうか?
つづく・・・。