太子町と言えば、聖徳太子の御廟のある‘叡福寺’。
境内はかなり広く、西方にそびえ立つ多宝塔が目に付きます。
(叡福寺)
この‘多宝塔’、
塔と呼ばれる建築のなかで一番シンプルで非常に美しい造形美である。
この多宝塔にも、彫物が・・・、
承応三年(1652年)の建立
こちらは、聖徳太子の御廟。
(御廟)
切妻の屋根二層と唐破風の組み合した縦配列の構造となっている。
懸魚の菊、麒麟、龍、獅子鼻と延享三年(1746年)の阿弥陀三尊の彫物が付いてある。
何度か修復されているようであるが、
この‘龍’に目が留まった!。
この龍は、何と小松の源さんではないか?と・・・。
源さんは、助さんでなく、蔵さんのほうである。
左側の肢が取れているので、確実なことはいえないが、
波の造形からしても蔵さんのように思える。
だが、麒麟や獅子鼻は、ちょっと異なるみたい。
霊亀
(叡福寺 見真堂)
こちらは、西方院の彫物。
(西方院納骨堂)
(西方院納骨堂)
納骨堂の彫物は、‘彫又’さんのよう。
本堂の障子がちらりっと開けられていたので、よく見ると
本尊の厨子の上に鳳凰の彫物がありました。
(西方院本堂)
こちらは、西方院の観音堂。
(西方院観音堂)
(西方院観音堂)
この獏鼻は、勢いがあります。
ここのお寺さんの蟇股には、
‘桐に鳳凰’の彫刻。
(光福寺本堂)
頭の取り付けが、もう90度向けないと苦しいのですが・・・。
(光福寺本堂)
ここのお寺さんの龍と獏鼻。
(明尊寺本堂)
(明尊寺本堂)
一見、新しい彫に見えるが、少々古い彫かも?。