さて、この後面のシガミ
前方の武内さんと同様に、
後世に付け加えられたように思える。
説明書きによれば、
何と!、
寛政年間 (1789~1801)?
寛政年間では、このようなシガミはありえず、
経の巻、三本ついた獅子口か
雲形の鬼板を取り付けるのが通常であると私は考える。
高欄脇の菊
波頭や脇障子風の彫物から‘相野’と思えるポイントあり、
この二枚板の神功さんは、彫又さんポイ感じがする。
もう一面の人物は、彫又さんのようにみえる。
この武内さんも‘彫又’さんではなかろうか?
地車製作年の寛政期とは、
残された古文書の一番古いもの、だんじりの始まりの記録であって、
ほぼこの地車については、弘化嘉永期以降の製作であると考えられる。
もとは、相野の彫で後方の二面は幕式であった。
のちの文久期以降に、彫又による二枚板と前方の出人形、
後方のシガミを取り付け改造されたものと考えられる。
それにしても、この反りのある船だんじりの造形美は見事なものである!