前回のつづき、
この地に幻のだんじりがあった。
記録によると、昭和23年10月15日の撮影とあり、
この後、台風により被害を受け、曳かれなくなったと伝わっている。
恐らく昭和25年、大型のジェーン台風により被られたと思われる。
さて、このだんじりの手がかりはないものかと、
二十数年前に調べたが、そのときから判らずじまい、お蔵入りであった。
だが、数年前に彫物が残されていると聞き、
最近ようやく観ることができた。
これがそのだんじりの車板と思われる。
龍の頭が欠損しいている。
どこか別のところにしまわれているのであろうか?
(こんな大きな龍の頭がなくなるわけがない)
中央から、にょきっと龍の珠をつかむ肢が出ている。
ちょっと待てよ、これでは龍の頭と爪が重なってしまう。
はは~ん、この肢の付け方が間違っているのである。
つまり、珠をつかむ肢は、右の位置に取りつくのである。
これと同じ絵様のものを探してみたが、ごく近いものがあった、
それは、コレ↓
戎社 (吹田)
彫師は異なるが、彫師は同じ一門である。
ずいぶん昔に、誰かに「波や雲の彫で彫師が判るわけない」と言われたことがある。
私は、「彫物師の特定はできないが、ほぼ一門は特定できると」信じていた。
つまり、親方から弟子へ、またその弟子へ受け継がれる基本的な彫絵様は、
そう簡単には変化しない。
その彫物師一門の伝統といようか、つちかわれてきた絵様は、
その一門独自のものであり、また一門の特徴を示すものでもある。
だが、文明開化の明治中半になると、その伝統もなくなりつつあり、
個人プレーなる彫と変化していく。
だいぶ横道にそれたが、
龍の彫が枡合にもあった。
この顔を見たとき、びっくり・・・!、
何と四條畷の幻のだんじりと同じではないか?
四條畷の幻のだんじり
この彫師さん、一門ではAランクの腕前の持ち主。
後面の車板は、
ぎょ、讃良型のだんじりの彫にはない絵様。
尻もちをついている獅子をアップすると、
ほぼ、どこの一門かお判りかなぁ?!。
次に、ここのだんじり、泥幕部には彫物がない交野型。
でも、車板は讃良型のような大きな一枚ものだ。
交野型は、虹梁が上下二段となるのが特徴である。
茄子作 (交野型)
下部の虹梁が、大きく湾曲しているのも特徴である。
屋根の端が折曲げ式になっているかは、確認できないが、
ほぼ車板一枚式の交野型の仕様であろうか?
なお間口の大きさが、110cmなので、正面の高さが、
約4m70cmから80cmくらいのやや大型のだんじりと推測される。