大東市のここのだんじりの彫には、興味深いところがある。
もともと幕地車だったのが、明治期に三枚板式に大改造されていると思われる。
(現 新田東)
屋根幅を少し縮められているように見える、改修前の状態。
数年前の改修される前の後面
小屋根下、三枚板と隅障子は、「西岡弥三郎 正光」の銘のあるお決まりの合戦もの。
だが、大屋根下の花頭窓風の獅子と龍は、当初から弥三郎の彫でないことが判っていた。
車板の龍は相野彫で、もとは相野一色のだんじりであったと思われる。
また、三枚板に西岡の銘があったことから、この大屋根追加部分も‘彫又’とされていた。
数年前、西岡徳次郎なる銘のあるだんじり?が発見され、その唐獅子の彫が、この花頭窓の獅子の彫と似ていることにより、これも徳次郎によるものと推測していたのだが・・・、
龍の彫が全くあってこなかった。
つまり、彫のレベルが違うところにあった。
祭日の当日、ふとしたことから「高松 一」なる墨書きが見えないところに書かれていることを聞き、
今までの不可思議だったことが、一挙に解明できた。
‘たかまつ かず’なのか‘はじめ’なのか、はたして‘ひとり’なのか判らないが、
大屋根下の部分は、高松彫に間違いないと・・・。
木津市にある‘高松彦四郎’の彫物と見比べると・・・、
(義友会)
(新田東)
(義友会)
イメージと下絵感が一致するではないか!ほんまに・・・。
ほぼ、花頭窓の彫も高松彦四郎の線が強くなった。
弥三郎は見えるところに銘を書き、高松は見えないところに書く・・・・、
つまり、○○ある鷹は、爪を隠すということは、このことだろうか?!。
追伸
以前は、花頭窓の彫物は取り外して、しまわれていたそうです。