大東方面にも多くの『彫清』がある。
東諸福地車
御領地車の屋根廻り
深野北地車の半分
氷野地車
これらの地車は、‘本家’筋の彫で、
獅噛の彫は、足甲が盛り上がり、ごつごつし、いかにもいかつい形相となる。
下記のものは、年代からほぼ三代目の彫清の獅噛である。
(腹見地車 生野区)
この‘本家’筋の彫と少し異なる彫がある。
(御供田)
この手の獅噛、大東、四條畷方面に非常に多くある。
口奥ががばっと大きく開き、毛並みの先端がソフトクリーム状となる。
二年前に、中野本町地車から『彫友』の銘が発見された。
この銘、正式なものと判断はできないが、ここでは分類上『彫友』としておく。
この『彫友』の地車、獅噛、龍、唐獅子や鳳凰、鷹と猿などほぼ決まった形となる。
今から、24年ほど前に‘上地車図会’さんから「古市のほうにも、大東にあるような地車がある」と写真を送っていただいた。 〔以下、古市西町の写真は、上地車図会さんからの提供〕
(古市西町)
(古市西町)
赤井地車と獅噛や猿の彫が似ている。
(赤井)
正面の龍は、
(古市西町)
彫友の龍 (後日紹介)というより、こちらは‘本家’筋の龍の彫である。
興味深いことに泥幕の彫を見ていただこう。
(古市西町)
(赤井)
(古市西町)
(赤井)
この西町と赤井の泥幕、
ほぼ同彫物師が彫ったとしか考えられない。
つづく・・・、