神戸のMさんとここに訪れたのは、もう25年前のことである。
だんじり一台が、‘だんじり戎’として祀られている。
和泉市の南方にある春木川の先代?のだんじりである。
この龍を観たときから気になってしょうがなかった。
その他の彫物を観ても、木鼻や脇障子など‘彫又’さんのように
見えるが、この龍は‘彫又’ではなく、‘小松’である。
写真が出来上がってから小松源助の龍と比べてみたがやや異なる。
いったいこの彫は誰なのか?
(獅噛や鷲と猿は福太郎と思えるが、この角度では判断できない)
昨年、西堤のだんじりから小松福太郎の墨書きが見つかった。
西堤
(もと車板に使われていたものが泥幕についている)
この龍、大東のだんじりにもある。
向きは反対だが、龍ののけ反った上あごや湾曲した爪が一致する。
平成23年に発見された福太郎作の龍
千林古市の彫物 (M氏撮影)
この龍からも湾曲した爪やあごにある極端に長いトゲが一致する。
ところで、八代目源助とされる時代の龍の彫では、
古町
顔は福太郎よく似ているが、肢の爪はスリムである。
ただ銘のある福太郎のだんじりでも正面の龍や獅噛が
まったく異なる彫師によるものが多く、
これが福太郎と言えるものが見つからない。
ところで福太郎の龍顔は、麒麟の彫とほぼ一致する。
善根寺
平野屋
南新田元町
豊浦 (文久期当時の麒麟、もと枡合にあったもの)
さて、八代目源助の時代の麒麟は、
上中
茨田大宮
打上下
北條中ノ町
雁屋
奄美
八代目源助期の麒麟は、その仕上げによって
顔の作風は変わるものの、全体のバランスは一致する。
もうひとつ、麒麟のあごのとげが福太郎期よりも簡略化され、
とげの間に膜のようなもが取りつく。
しかしながら福太郎が作り直したという明治3年のこの麒麟、
極上の彫物と私は信じたい。
八代目源助期にこのような精巧かつ極上の麒麟は観られない。
北條辻ノ町
右側の麒麟のとげには、膜が付いている。
全体のバランスは八代目源助だが、肢の開きは福太郎。
八代目源助のベースを福太郎が仕上げたものか?
もとに戻って、
やはりだんじり戎の龍は福太郎なのか?
善根寺