ここは京都市左京区の北白川、
今出川通と白川通の交差する西側に志賀越の街道が横切っている。
ここに「太閤の石仏」と呼ばれる、
大きさ2メートルほどの大日?さんが佇んでおられる。
見ての通り、ここも時代の変化に苛まれている。
かって、広大な野原を通る街道の片隅に
生い茂る木立の下に佇んでおられる光景を目に浮かぶが、
これでは、まったく情景もあったものではない。
その昔、秀吉さんがここを通り掛かったとき、
聚楽第の邸宅に持ち帰ったそうだ。
大きなものやきらきら輝くものを好む秀吉さんだが、
夜中になると「白川の里に帰りたい・・・」と、うめき声がするので
元の地に返したという話がある。
火災に遭ったらしく、光背は原形をとどめていなく、
お顔も後世に作り直されている。
鎌倉期の造形らしい。
「子安観音」とか「安産地蔵」とも呼ばれ、信仰心が絶えまなく、
献花が添えられていた。
なお、この石仏の少し西方に行った南側、
志賀越道に二尊の石仏がある。
左京区岡崎神社の兎(おみくじ)の群団