今から25年前に、‘相野喜兵衛’の銘のある地車があると聞き、
早速観に行った。
東今里神路
この獅噛の裏面に、
「〇野喜兵ヱ永次」とある。
当時、精巧に彫られた獅噛以外は、別の彫師と考えていた。
喜兵衛の銘は、
あびこ観音の山門や
高野山返照光院の欄間にも見られるが、
統一した彫物が見られないので、比較検討ができなかった。
だが、
今年、大修理されたここの地車に‘喜兵ヱ’の銘が発見されたようである。
まず、龍を比較すると、
(東今里神路)
ほぼよく似ている、
小浜の旧泥台と比較しても、
(小浜 旧泥台)
龍の鼻筋や牙の出方が一致する。
さて、懸魚についても
(東今里神路)
彫物の構図など一致しているところが多くある。
唐獅子ついて見れば、
(東今里神路)
柄振板の獅子や獅噛もよく似ている。この獅噛、
鶴見区にある某地車にも似ている。
懸魚の鷲も構図は異なるが、顔つきは一致している。
龍の牙も二本備え!
これらの彫が相野喜兵衛だとすると、
かっての相野系彫のイメージと違い、まったく異なる印象を受けた。
明治30年代に入ると、小松でもそうだけれど
今まで一門でつちかわれてきた彫の伝統というものが、失われている感がする。
また、驚いたことに、
この武者、なんとなく美濃村さんにも似ているぞ。
鶴見の某地車もそうだけれど、辻田や彫又・小松系の彫も見られることより
異なる系列の彫師何人かが、かかわっている可能性も考えられる。
ところで、この泥幕後面に彫られた龍、
この龍は、喜兵衛さんの彫ではない。
みたところ、もともと車板の場所にあったようだが、
申し分なく、大東市の某地車の龍と一致している。
お判りかなぁ!
(大東市の某地車の車板 画像左右反転)