泉州最古とうたわれた太鼓台、
幕末から明治初期の作となっており、彫物師は高松彦四郎、
枡合裏に銘があり、確認はできないが今となっては貴重な彫物である。
大北町
拝見したところ、はなはだ新調のごとく感じさせられる。
各所の枡合や虹梁は、非常に細かく細工されており、欠損した部分や新たに追加、
補修した箇所もあって、当初新調時のオリジナル性があるとは言えない。
ところで、私の観た高松彦四郎作は、
明治十五年の木津市にあるふとん太鼓。
義友会
彫物は、龍、唐獅子、麒麟、鳳凰などの神獣と花鳥もので占められていて、
ほぼ明治十五年当時のままの状態といっても過言ではない。
彫物の収納箱
「太鼓細工人 大坂南堀江上三 高松彦四良」
さて、私自身、細かい武者系の彫にはうといため、どの部が
高松作なのか知る由もなく、判断のしょうがない。
よくよく見れば、泥幕部に水滸伝が彫られ、その中に龍の彫物があった。
この龍、一本の角を持ち、独創性があると思い、、
他のものにないかとよくよく探したら、
何と驚きのあまり、木津市のものにもついていた。
アゴ髯は異なるものの、牙は逆三角錐状で一致する。
龍のイメージも相似すると見てもよい。
龍のイメージも相似すると見てもよい。
もうひとつ、龍を取り巻く雲海。
両者を比べば
ほぼ同様の巴状の絵様が相似する。
高欄の彫も当初のものと思われるが、
何しろ、金網でよく見えないありさま。
江戸末期や明治初期の彫物絵様は神獣、花鳥ものが中心で、人物ものについては、
武勇英雄に猛けた三国志ものや神話伝説、神仙思想、不老不死の仙人もの、
親孝行物語の中国故事などが刻まれるが、武者合戦ものについては、源平ものが中心である。
まして、太閤記ものや楠公ものが採用されるのは、明治十年以後だと私は考えたい。
枡合の細工の細かさから観ても、明治十年以降の作ではなかろうか?