彫工 小松福太郎について不明瞭な点があり、謎も多くある。
今から22年前に出会ったこの‘だんじり戎’の彫物、
見たときから私の胸にくさびが打たれた。
和泉市にあるだんじり戎
もと春木川の地車が、だんじり戎社として祀られている。
さて、この龍、どう見ても小松さん・・・としか言いようがない。
左右にある木鼻は彫又さんのよう見え、しかも
奥にある脇障子の彫を見ても検討がつかなかった。
源蔵や六代目源助のような彫でもなく、
一見、八代目源助のようにも思えたときもあったが、
でも何かが違う・・・、私の脳裏をずいぶん悩ました。
八代目源助の龍は、少しスリムでしなやかなのに対し、
この戎社の彫は、顔が大きくて大胆な彫。
石津神社 旧拝殿の彫物(八代目源助)
八代目源助によるほぼ完成された龍 (九代目源助による仕上げも考えられる)
雁屋 奄美
ところで、小松福太郎は、小松源蔵の息子と思われ、
親子での合作は嘉永年間からみられる。
棟梁として彫る時期は、明治に近い江戸末期と考えられ、
明治初年以降には、福太郎が荒彫り、中仕上げを行い、
仕上げを次の八代目源助が担当した彫物が存在すると私は考えたい。
明治十年以降は、ほぼ八代目源助の時代、そして明治十五年ころには、
次の九代目による仕上げが見られるようになると考える。
(八代目は、明治十九年に他界される、W氏の談話より)
つまり、師弟の彫師が重なる時期では、
両彫師に共通した特徴のある彫物に仕上がるという点にある。
ふたたび福太郎の彫を見れば、個々のものを大きく彫るといようか、
龍に関しては、大きく反り返ったアゴが印象的である。
戎社の龍は、車板の幅に対してやや大きめに寸法がとられ、
左右にあった脚が欠損しているが巨大な龍に仕上がっている。
福太郎の持つ荒々しさというより、だいぶしなやかな彫に仕上がっている。
余談であるが、龍のアゴ先と左尾の上に子龍の頭が乗っかっているが、
これは他箇所にあった彫物と思われる。
福太郎の麒麟 (南新田元町)
源蔵―福太郎期
福太郎期
福太郎ー八代目源助期