大阪城界隈といってもこの辺り、
第二次世界大戦中、空襲の集中爆撃を受けたところ。
北側に大阪砲兵工廠(軍需工場)があったので、
B29からの爆撃目標として、この大阪城を目印とされてきた。
大阪のシンボルとして親しまれてきたが、今は高層ビルの陰にひそめ、
大阪環状線京橋駅~天満駅間の眺めも、
わずかのビルの隙間しか見えなくなってしまった。
でも、間近で観れば、この壮大な迫力!
これが400年ほど前に建てられたとは・・・・・、
といっても、この大阪城は昭和6年の鉄筋コンクリート製の三代目。
現大阪城は、二代目徳川期のデザインで建てられたそうな。
千貫櫓・多聞櫓
いづれも元和六年(1620年)に秀忠期に建て替えられたもの。
桜門枡形の巨石
長さは8m以上はあろうか、大阪城で一の巨石。
厚みは、50cmから1mほどの板状のものであるが、
小豆島方面で彫り出し、これをここまで運び、据え置く技術など
重機もない時代に、今では計り知れない技術があったと思われる。
何しろ、秀吉さんの行うことは、何しろダイナミックである。
京都方広寺にあった大仏は、東大寺のものよりも大きかったし、
その方広寺大仏殿の石垣の遺構を見れば、その大きさにも圧倒される。
大阪城も超スケールの規模で設計されたが、大阪夏の陣(1615年)により
豊臣が滅亡するやあの家康は、豊臣政権の文化というもをことごとく壊し、
一部の建築物は移設するものの、豊国神社や豊国廟を徹底的に破壊した。
秀吉さんと仲の良かった本願寺派を西と東に分裂させたのは、あの家康の
加担が大きいと言われている。
大阪城北側の極楽橋
ここにかって観ることのない豪華絢爛なる唐破風の橋があった。
その遺構が、竹生島宝巌寺にある。
壮大な堀
(これは徳川期のもの、豊臣期のものは埋められている)
梅園
シベリア帰りのツグミ
豊国神社
さて、豊国神社そばにある白玉神社、
ここにちよっとした獅子鼻があった。
見るかぎり、明治初期から以前のもの。
この地の戦火を免れたものか、どこかにあったものをここに移設したのかは不明。
大阪城と言えば、以前この博物館に置いてあっただんじり、
旧第四師団司令部
今はNHK前の大阪歴史博物館に収蔵されている。
御座船だんじり
つづく・・・、