大東市の数あるだんじりの中で、
傑出に細工された彫物だんじりがある、
それは新田西地車である。
新田西
大きさは北河内方面では小ぶりだが、
南野や北條方面の宮大工の手掛けた‘讃良型’ではなく、
大阪型、あるいは三枚板型の形式となっている。
某地車研究家、上地車図会さんの話によると、
泥幕部の様式からもと‘天満’にあった地車ではないかと指摘があった。
そういえば側面の三枚板には、花頭窓様式となっている。
さて、この地車の特出した彫物はこれであろう。
そう、この鬼面状の鬼板。
鬼板とは、屋根の妻に飾られるもので、家屋屋根の鬼瓦に相当する。
初期のだんじりには鬼面のものが多く、徐々に、
明治期にはいると獅子状の形相に変化した。
まさにこの新田西地車の鬼板(シガミ)は、
鬼から獅子へ変化する途中の絵様と言っても過言ではないだろうか。
にょきとそびえ立つ二本の角は、後付けされたものではない。
木製の角の上から銅板が巻いてある。
眼球も同様に、ガラス眼でなく銅板が張られている。
正面車板
正面車板は‘龍虎’の彫刻で、交野方面に多い絵様。
この対決絵様も、明治期にはほとんど彫られなくなった。
後面車板
後面車板には‘親子唐獅子’が彫られ
明らかに、正面と後面の彫師が異なることが判る。
後面の彫刻は繊細で彫が鋭く、三枚板三面とも
腕の立つ彫物師とみる。
そして驚くべきことに、この三枚板、
私の観る限り、付け貼りのしていないケヤキの一枚板で、
厚み一尺はあろうかと思われる木材を使用している超豪華なものである。
つづく・・・、