謎の多い小松福太郎
打上上地車 後面
雌唐獅子下に
「大坂 彫師 小松福太郎」の銘がある。
御幣に書かれた墨書きに
‘慶應四年’(明治元年)の年号がある。
ほぼこの頃の作と思われる。
以下、福太郎の作を並べてみた。
豊浦
このだんじりは、文久二年(1862年)作、
残念ながら、当時の福太郎の彫はわずかしか残されていない。
南新田・元町
金銭連判書?から明治四年の年号がある。
ほぼ、上記三作の彫で、
福太郎の完成された唐獅子の彫がうかがえる。
さて、
福太郎が活躍した江戸末期~明治初期より十年後に、
次の小松源助が登場する。
どうもこの源助が、福太郎と同人物だ混同される。
福太郎と同じく、源助の車板の唐獅子を比べると、
中ノ町 (明治12年)
雁屋 (明治16年)
奄美 (明治17年前後?)
口もとの曲線の流れは、福太郎のと源助のは似ているが、
福太郎の完成された獅子顔が、十年後にこのように変化するのは
考え難く、やはり福太郎と源助(八代目)とは別彫師と思われる。
つづく・・・