ここは、南海の孤島・・・・、
てないし、ひょっこりひょうたん島でもサンダーバードの秘密基地でもない。(だいぶ古いTV番組)
東側に廻れば・・・、
パノラマチックな光景が浮かび上がった。
そう、ここは琵琶湖北端の竹生島。
この島に国宝の唐門がある。
実は、現在修理中、
目的とする処は、まったく見えなかった・・・、トホホ。
完成年は、平成30年春、
今回の修理では、残されていた色調に彩色される予定である。
上図のように、唐門とその奥の観音堂が組み合わさった構造になっている。
この唐門は、慶長元年(1596年)、大阪城北側の内濠と本丸とに掛けてあった
全長50メートルを越える巨大な装飾のある橋の遺構である。
そもそも数年前、オーストリアの某豪邸、城?に残されていた絵画に
大阪城の風景が鳥瞰図のごとく浮世絵として描かれており、その絵の大阪城の傍に、豪華な橋が
はっきりと描かれている。
もともと、どこかの大名屋敷か豪商家にあった六曲一隻?の屏風を明治期に売却し、その屏風が
タペストリー状に加工され、飾られていてた。
この絵画の発見により、幻の‘極楽橋’の存在が明らかになった。
その後、慶長三年(1600年)に豊国廟へ移築され、慶長七年(1602年)に竹生島に渡った。
牡丹の桟唐戸 唐門
唐門正面の鶴?の彫物は、まったく拝めないが、それに続く観音堂の彫物は、見ることができる。
獅子鼻 観音堂
楓に鹿 観音堂
鳳凰 観音堂
組み物 観音堂
観音堂ととなりの神社とを繋ぐ渡り廊下には、
もと御座船 秀吉時代の‘日本丸’の遺構が使用されている。
舟廊下 慶長八年(1603年)
舟廊下部の舞台柱
清水寺の舞台、書写山圓教寺で見るような舞台柱
錦鶏 都久夫須麻神社
この神社も観音堂と同様に、豊臣秀頼が慶長七年に京都の遺構から移築してきたものと伝わっています。
恐らく、伏見城や豊国廟にあったものであろうか。
いずれにせよ、徳川政権により破壊されずに大阪の文化が残されていたことにほほえましいことである。
リゾート地のような光景