交野市 寺
この周辺の景観は30年前とほとんど変わりなく、宅地開発などにより
自然破壊からまぬがれている。
寺 住吉神社
ここの割拝殿の蟇股には、‘波ウサギ’が彫られていて非常に珍しい。
ちなみに、川西市の勝福寺や桜井市の稚櫻神社の蟇股にも
波うさぎが彫られている。
秋祭日が土日に変更されるまで毎年のように訪れていたこの住吉神社に
私の好きなだんじりがある。
隙間から覗くと鐘馗さんが見えた。
相野(伊)と池田九兵衛による彫物師の地車である。
池田九兵衛は、播磨方面の屋台に名を残すが
彫師の仔細はわかっていない。
割拝殿を覗くと、おおっ・・・
当時、山添区長さんから依頼を受けた寺だんじりの写真(全紙版)が
掛けてあった、嬉しい限りである。
さて、かいがけ (狭崖)の道は住吉神社横の道から始まる。
昨年の台風の影響か?倒木がある。
KさんとMさんはどんな関係だろうか?
昭和57年に交野古文化同好会により掘り起こされた磨崖仏
阿弥陀さんのようだが、風化が激しい。
かいがけの道は、天正年間に織田方や筒井の武将が何度も駆け抜けたという。
道の通りの隅には‘伏拝’(ふしおがみ)の石碑があって、
現地に参らなくともこの碑の方向に拝んでおくとすむという石碑である。
順に
柳谷伏拝 (柳谷観音)
石清水八幡宮
愛宕山大権現 (京都)
二月堂
(野崎観音) 不明
能勢妙見大菩薩
金比羅大権現
石清水八幡宮の伏拝と双石龕仏
そばにあった壊れた伏拝
かいがけの道、中ほどにあるかいがけ広場
かって‘かいせん庵’があったとされ、開かれたところには石仏が
多く散在している。
かいがけ地蔵、歯痛地蔵ともいう (弘法大師の大師堂があった場所)
役行者 祠入り
山桃の木下の石仏
不動明王
かいがけ広場からすこし進むと、
龍王山入口がある。
龍王山といっても奈良柳本の龍王山でなく、交野の龍王山である。
321メートルの頂上付近の龍王石
ここで雨乞いを祈ったそうである。(昭和14年が最後の祈り)
鳥居入口から山頂まで約20分くらいで行ける。
かいがけの道へもどり、進んでいくと畑のところに出て、
この傍示の里のところに出てくる。
右のほうの道が寺から上がってきたかいがけの道。
・・・・と、肝心の‘ごみの木の地蔵’と‘二月堂の伏拝’を見落とした!
後戻りをして、
二月堂の伏拝は岩の上の見上げる位置あった。
この近くに‘野崎観音’の伏拝もあるというのだが、
所在不明である。
さて、‘ごみの木地蔵’・・・・
奈良の峠の茶の石仏のときの二の舞、
笹草に隠れていた。
左中ほどといってもほとんど見えない。
これである。
周りを舟型に沈められた阿弥陀さんである。
八葉蓮華寺の宝篋印塔