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Channel: 彫物名鑑 小松堂
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屈指の名地車 新田西 その3

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さて、この名地車の彫師は、誰であろうか?
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泥台の波頭の彫から相野と判るが、
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高欄合
高欄合のしなやかな波しぶきは、
察するところに、“藤七彫”と考えられる。
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浄谷寺 欄間

そして、もうひとりの彫師は、
上地車図会さんによれば、「相野伊兵衛も含まれるのでは・・・」、と助言をいただいた。
う~ん、私の観る限り、伊兵衛さんのオリジナルなものは、見当たらなかったが、
ここにそのヒントがあった。
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新田西 枡合

背景は異なるが、ほぼ同じ下絵で、同彫師の作ではないかと?
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淡輪 解体された彫物

さて、この鳳凰、
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新田西 懸魚

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ヘルメットをかぶったような頭部と肉髯の下に
蝶ネクタイの様な左右に伸びる巻き毛のような彫は、
正しく“藤七彫”の特徴である。

ここで、藤七彫と思われる懸魚を観てみると、
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名張 本町

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上三ツ島
(彫の半分は、相野伊兵衛)

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北條北ノ町

ここで、ちよっと待った!
藤七彫の系統の彫師で‘相野清七’という彫師がいる。
藤七とほぼ同年代の彫師で、
活躍は、天保期から明治十年代。
当初、相野清七は、藤七の幼名かとも思っていたが、
さにあらず、彫を見てみるとやはり同じ下絵で彫られているが、
その腕の差に違いが見られる。
イメージ 8
中宮

イメージ 9
浄谷寺 向拝

浄谷寺の彫刻においても、メインは藤七以下、一部、清七の彫がみられる。

先ほどの、本町、上三ツ島、北ノ町は、
ほぼ江戸末期から明治初期、初期といっても初年の製作と推定される地車。
私はこの三地車は、相野藤七の晩年の彫ではないかと考えたいのだが?!。

つづく・・・、

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