東大寺と言えば、
徳兵衛さん(相野徳兵衛直信)がよく知られているが、
東大寺に小松源蔵さんがいた。
東大寺から少し離れるところ、
石段を登りつめると、東大寺塔頭知足院本堂がある。
この段階で、蟇股の彫刻を観るやいなや
私の胸が躍った!
蟇股に彫られていた龍は、まさしく源蔵さんに違いない!
こんなところに源蔵さんがいたとは・・・!
木鼻の彫といえば・・・、
なぜ、こうなるのかわからない?!
・・・なんでそうなるの?・・・
このように蟇股と木鼻が、異なる彫になることは他に何件かあるが、
どいう理由があるのだろうか?
本堂再建は、文久三年(1863年)とある。
最近、発見した源蔵さんと比較すれば、
松寶寺 交野 嘉永五年(1852年)
湊浦 伊方町 明治初年?
東大寺塔頭 知足院 本堂
(本尊 地蔵菩薩立像で有名)
おまけ
東大寺塔頭 中性院の鬼瓦
中性院の土塀
途中、こういう張り紙(プレート)があった!
水路を見れば、何匹かのサワガニさんがいた。
大切にしましょう!