ここは、まだ太子町へ訪れるまでの河南町。
彫物は、龍と獏鼻の三点セットのみ。
(大念寺 迎接院)
この龍を見る限り‘彫又'さん。
河南町方面は、だんじりにしても‘彫又'による作が多くあり、やはり堺との街道に沿った文化が発展したと考えられる。
途中の公園で観た意外な光景。
可愛らしいキリンさんのシーソーの遊具だが、
よく見ると‘さらし首'が置いてあるように見える不気味なシーソー。
サギの仲間ので最大級の‘アオサギ’。
田んぼに降り立った二匹、つがいかなぁ?。
何故か小屋が開けていた‘東條'の舟だんじり。
(東條)
昨年、解体修理され、天明七年未(1787年)、佐武宗七の墨書きが発見された。
現段階で関西方面のだんじりと呼ばれるものの最古のものである。
この仙人は、‘呂洞賓'かな?'
なぜ小屋を開けていたのかいうと、
そう、七月末の祭りに向けての提灯、幟の準備でした。
(西町)
おっと、ここのお寺さんの山門に獏鼻がありました。
(林光寺)
この獏鼻、よく見れば「藤七彫」ではありませんか!。
残念ながら、彫物は獏鼻一対のみ、もうひとつ何かの彫物をつけてほしかったです。
彫物の宝庫と言えば、科長神社。
(科長神社割拝殿)
拝殿正面には、この龍の彫物が・・・。
この龍は、伊兵衛さんバージョン。
つづいて、竹に虎。
鷹?と猿
獅子鼻
この獅子鼻、顔つきはこちらに近い。↓
(川面)
以前、紹介した、川面のだんじり。
どうしても、川面のだんじり=伊兵衛 とは言い難く、
もう一人の伊兵衛として定めたが、未だに疑問が残る。
こちらは、大念仏寺霊明殿の獅子鼻。
この木鼻は、伊兵衛さんのにおいがしているのですが・・。
後編につづく・・・。